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悪妻? [l'histoires de femmes]

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はい、世界の三大悪妻のもうひとりです。
音楽家モーツァルトの妻、コンスタンツェ。

1762年、4姉妹の三番目として生まれました。
彼女はソプラノ歌手になりました。イトコには作曲家のヴェーバーがいます。

はじめ、モーツァルトは彼女の姉のアロイジアに惚れ込んでいました。

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コンスタンツェの姉、アロイジア。


小さなころは神童と謳われたものの、大人になると容貌も仕事もパッとしなかったので、
アロイジアの計算高い母親は、モーツァルトの気持ちを知りつつも、アロイジアを金持ちに
嫁がせてしまいました。

そして姉妹の中でもぱっとしない娘、コンスタンツェを作曲家の妻にしようと考えました。
モーツァルトは姉妹の母の経営する下宿に入りました。
コンスタンツェと付き合いたいというモーツァルトに、姉妹の母は契約書(!!)を書かせました。

娘と付き合いたいならば、3年以内に必ず結婚すること。

でもそれをコンスタンツェは破り捨てたと言います。きっと、気性の激しい、プライドの高い女性だった
のでしょうね。

宮廷でマリア・テレジアの前で転んだとか、6歳の時7歳のアントワネットに求婚したとか、そんな
モーツァルトですが、ぱっとしなくなったと言ってもやはりすごい才能の持ち主です。
(というか、努力の人)
稼ぎは大病院の医者よりも何倍もよかったそうです。

それなのに、貧乏の中で死んでいきました。

なぜ?

それは、コンスタンツェが悪妻と呼ばれるゆえんなのです。

結婚してから6人の子を産みますが、みんな体が弱くて成人したのは2人だけ。
莫大な稼ぎを彼女が湯水のように消費したから貧乏になったと言われますが、まぁ確かに、
生活水準が高く浪費が激しかったのは確かなようです。

でも、モーツァルトがギャンブルにはまっていたし、友人の妻と不倫していたし、彼女だけが
悪いわけではなかったようです。

夫が借金を抱えたまま病死してしまい、子供を育てて生活していかなければならなくなり、
彼の楽譜や作品を売りさばいたから、彼女の悪評に拍車がかかりました。

モーツァルトがフランクフルトに出張中に彼の弟子と深い仲になり、たぶん4番目の子供は
この弟子との子ではないかと言われています(名前もこの弟子と同じ名前を付けました)。

もちろん、結婚しているのにほかの男性との間に子供を持つのは社会通念上よからぬことですが、
彼女には彼女なりの、他人には誤解されるだけしかない深い葛藤があったのかもしれません。

きっと彼女はプライドの高い女性で、姉を好きだった人と結婚したこととか、母が契約書を書かせた
こととか、子供の弱いこととか、いろいろと傷付くことが多かったのかもしれないと、いろいろな本を
読んで思いました。

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夫の死後は外交官と再婚し、前夫の伝記を記したそうです。
再婚したという点も悪妻の理由のように言われますが、子を持つ女性は強く生きていかなくてはいけ
ないので、後ろ指差されることではないですよね。

結論。 女性の人権を軽んじた男性たちによって、彼女は「悪妻」にされた!!!のかも?

モーツァルトのあまりにも有名な死因のミステリーについては、次回お話しますね。






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マリア・アルトゥング [l'histoires de femmes]

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名前をきいてすぐに分かった人はすごいですね。
彼女は1832年、サンクトペテルブルク生まれのロシアの女性です。

作家で詩人のプーシキンの娘で、トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』のモデルになった女性
なのです。

プーシキンもトルストイと同じように、貴族の家柄でした。
マリアは9年間、自宅で教育を受けたそうです。
ドイツ語とフランス語は流ちょうに話せたそうです。

自宅学習も親の知性と財力があってこそ、でしょうか?

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その後、大学を卒業し、宮廷に仕えます。
28歳の時に2歳年下のアルトゥングと結婚しますが、夫は不幸にも窃盗の濡れ衣を着せられて
ピストル自殺してしまいます。

自分を疑った人を許す、という遺書を残したそうですが、彼女は「彼は許しても私は決して許さない」と
言ったそうです。当然ですね・・・

子供はいなかったので、夫に死なれた後は孤児の支援をしたそうです。

2枚目の肖像画は、『アンナ・カレーニナ』の作品の中の主人公の描写そのものの、黒髪の巻き毛と
花の髪飾り、真珠の首飾りで描かれています。

バレエや映画、ドラマに何度もなされるこの作品、不倫という題材をとりますが、トルストイの
構成力が素晴らしいのか筆致がすばらしいのか。

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これはトルストイ


マリアはその美しさでモデルとなった女性ですが、モデルがいるとなると読むときにちょっと
ドキドキします☆




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伝説の女教皇ジョヴァンニ8世 [l'histoires de femmes]

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女性の教皇がいた、というと、ちょっとびっくりですね。
なにせ、時代が1400年くらい前の人物で、スキャンダルのために法王庁が17世紀にその存在を抹殺してしまったというので、実在したのか伝説なのかは、確かめようがありません。

よい治世であったとはいえたったの2年間でしたし、どのように生涯を閉じたのかも定かではないのです。

伝説はこうです。

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9世紀、聡明な少女ジョヴァンナは、尼僧院にいました。
ここである修道士と出会い、恋に落ちます。
彼はジョヴァンナを男装させて自分の修道院に入れ、二人はしばらくの間、隣続きの部屋で暮らし、
秘密の逢瀬を重ねていました。

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しかしある日、二人の仲が発覚してしまい、アテネへ逃避行するのです。
アテネではジョヴァンナの「修道士」としての博識が広く評価されるようになります。

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そして彼女は野望を抱くようになります。
というか、もともと、男性と結婚して幸せになることよりも、学問を究めたいというのが幼いころからの彼女の夢だったのです。

彼女は恋人を捨てて、学問を究めるために単身ローマに向かいました。

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ローマでもこれまた博識が認められて、聖マルティーノ学院で神学教授を務めます。
そして教皇が亡くなった時、神学教授だったジョヴァンナに次代の教皇の座が転がり込んだのです。

彼女は女であることを隠して、教皇ジョヴァンニ8世として即位しました。
「ジョヴァンナ」は女性の名前ですが、これを男性形にすると「ジョヴァンニ」です。

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30代半ばになっていた彼女は、よい治世を行いました。
しかし、思わぬことが起こります。

法王庁の侍従の一人のある青年と関係を持ってしまうのです。
やがて彼女は妊娠し・・・・博識であっても、妊娠に関する知識は乏しかったようで、サン・ピエトロ大聖堂から
サン・インラテラ大聖堂へ向かう途中の路地で産気づいて、狭い路地裏で出産してしまったのですって。

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ここからの伝承は様々で、

①生まれた子もろともに市中引き回しにされて処刑された

②この出産で死亡した

③全くの不明


うーん、確かに、法王が出産したらそれは仰天だけれど、出産は神聖なものだから、殺されるのはかわいそうです。法王庁を追放されて、どこかでひっそりと母子ともども暮らした・・・とでもしておいてほしいです。

伝説だ!!と言い張られることも多いですが、それ以降、確かに歴代の法王が参詣の際にこの路地をさけて通るという風習はあったそうです。

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それに、歴代の法王の像が飾られている中で、レオ4世とベネティクト3世の間に、誰かの像が抜けていると言われます。女性の法王を否定した後世の何人かの法王たちによって、その存在自体が抹殺されたために、詳しいことがよくわからないのです。

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たしかに、法王庁の最大のスキャンダルですものね・・・。

2009年にはこの法王をモデルにした物語から、アメリカとドイツ合作の映画『Pope Joan(法王ジョアン)』が
制作されました。



「お父さんが死んだのは、私のせいね」 [l'histoires de femmes]

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まずは彼女の旦那様のことから。
誰もが認めるロシアの偉大な作家、レフ・ニコラヴィチ・トルストイ。

「トルストイ」という作家って、3人くらいいるのですね・・・

でも一番有名なのは、彼でしょう?

『戦争と平和』は読んだことありますが、彼は実際に戦争に征って、非暴力主義になったと言われます。
ガンディーと文通もしていたそうですよ。

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20代のころのトルストイ


文学作品でなくとも、『イワンのばか』ならば、子供のころに読んだことがある方も多いのでは?

日本で言えば、宮沢賢治がちょっと思い出されます。
農奴解放に尽力して、農民の生活向上、教育に熱心に取り組んだところなど。

彼は苦労した貧乏人ではなく、伯爵家に生まれた貴族でした。
でも幼くして両親を亡くして親戚に育てられます。

成績不振で大学は中退したのち、農地経営の乗り出しますが、農民の理解を得られずに対立します。
そして放蕩を始め、飽きたのかコーカサス戦争に行きます。

24歳で作家デビュー、のちにクリミア戦争にも征き、これがのちの大作のヒントになります。

34歳の時、隣の家(と言っても、豪邸だし距離はあったと思いますが)の宮廷医師の娘で
18歳のソフィアに惚れ込みます。

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そして二人は結婚するのです。

そう、今回はソフィアのお話。

結婚前夜、トルストイはソフィアに自分の日記を渡します。
それには農奴の女性とのカンケイがつづられていたそうですが・・・・どうしてわざわざそんな?!

結婚当初は幸せを絵にかいたような毎日。
若い妻は13人もの子を産みました。

結婚を機に、トルストイも土地を相続して地主となりました。

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ところが『アンナ・カレーニナ』を書き上げて、子供を亡くした50歳ころから、トルストイは厭世感を
強めます。人生が嫌になり、自殺を思いつめるようになりました。

土地を農奴に与えて無一文になり、彼らのように暮らそうかと考えた彼に、ソフィアは猛反対。
あたりまえですよねぇ。13人も子供がいたし・・・

無償で原稿を提供してしまった時も激怒。
それに気を悪くしたトルストイが、秘書を通して印税管理をするようになると、妻はますます激怒。
裸同然で真冬に家出したこともあるそうです。

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ソフィアが夫を厳しく監視するようになったのはそのためでした。
宗教にもはまりだして、家族と対立するトルストイ、見張られても仕方ないですよねぇ?
彼は心の平安を見出せばそれでいいのかもしれないけれど、家族には生活がありますから。

ソフィアの監視に耐えられなくなったトルストイは、たびたび家出をするようになります。
そして辺鄙な駅で病気で倒れるのです。

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「ソフィアを私に近づけるな」と、彼は臨終の床で言ったそうです。
惚れ込んで結婚した恋女房が、死に際には悪魔に見えたのでしょうか。

「お父さんが死んだのは、わたしのせいね」と言ったソフィアに、子供たちは誰も「そんなことないよ」
とは言わなかったそうです。まぁ、相当な嫌がらせだったのかもしれませんが;;;

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映画もありますね。相当美化されているようですww

彼女は世界三大悪妻の一人と言われますが、ダリの妻のガラのほうがほっぽどワルだと思いますw
夫を家出させてしまう点は、感心しませんが・・・それで駅などで死なせてしまったから、悪妻と
されるのでしょうか。

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むしろ、家計を考えずに秘書にお金を管理させ、自分だけの理想世界に耽溺する夫に
現実の不満をぶつけたかっただけ、妻としては家族の生活を第一に考えた、普通だと思いますが・・・


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”彼女の絵は、彼女の人生” [l'histoires de femmes]

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初めて見る者の目をくぎ付けにする強烈な個性。
それは彼女の絵に対しても、彼女自身の写真に対してもどちらも言えることです。

美女なのに、つながった濃く太い眉。
そこにはゆるぎない意志が秘められています。

フリーダ・カーロ。
1907年、彼女はドイツ系ユダヤ人の写真技師であった父と、メキシカンインディアンとスペイン人の
血を引く現地の母との間の、4人姉妹の3番目としてこの世に生を受けました。

生まれた時の星のめぐりで一生が決まっているとしたら、彼女の数奇な人生は、もうこの時には
決まっていたのでしょうね。運命は小さな女の子にいきなり過酷な日々を与えます。

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6歳の時に小児まひにかかり、右足を引きずるようになります。
それでも明るく負けず嫌いな彼女は、父の方針で高い教養を備えていきました。

15歳の時は最高の高等学校に入学しました。
ここで彼女は初恋を経験します。
アレハンドロという男の子と、情熱的な恋に落ちるのです。

しかしまた、彼女は悲劇に襲われます。
18歳の時、アレハンドロと乗っていたバスが事故に遭い、彼女は重傷を負うのです。

骨盤骨折、肩の脱臼と肋骨、背骨、鎖骨、骨盤の骨折。
そして右足の粉砕骨折。死ななかったのが、不思議なくらいの重傷です。

1年以上も闘病生活をつづけました。
その間、彼女は絵の勉強を始めます。
残念ながら、恋人は彼女のもとを去っていきました。

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アレハンドロと付き合っていた学生の頃、壁画を描いていた画家ディエゴ・リベラに出会っていましたが、
絵を学んでから彼女は、友人宅で彼と再会し、絵の指導を願い出ました。
20歳も年上の中年画家。彼もフリーダの情熱的な個性に惹かれていき、22歳と42歳の時、
二人は結婚しました。

しかしお互いの浮気によって、それに事故の後遺症による骨盤の骨折のための流産によって、
二人の結婚生活には暗雲が立ち込めます。

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よほど子供が欲しかったのでしょうね。
子宮や骨盤を描いている作品も多いのですから。

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ディエゴは本来浮気性だったし、そんな彼に耐えられなくなったフリーダも、アメリカのアーティストだった
イサム・ノグチ(李香蘭のもと夫ですね)やソ連の政治家トロツキーらと浮気します。
彼女はバイセクシャルであったとも言われるので、女性とも浮気したのでしょう。

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事故の後遺症による激痛、流産、アルコール中毒、夫は彼女の妹にまで手を付け・・・・
作品の大半を占める自画像において、彼女は肉体的・精神的苦痛を表現しています。

夫に愛されたい、自分だけに愛を注いでほしい、そんな思いがキャンバスに描かれていきました。
傷付いて血を流す自画像、二人の自分を描く自画像。
夫を自分の額に描く自画像。

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「私は人生で2度、九死に一生を得て苦しんでいるの。一つはバスの事故。
そしてもうひとつはディエゴ」

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前者は身体的に彼女に打撃を与え、後者は精神的に彼女に打撃を与えたのです。

生涯、30回を超える手術と痛みに耐え続けながら絵を描き続けました。
結婚してからは民族衣装に身を包むようになります。
自分の中に流れるメキシコの血を意識して、メキシコ共産党員としても熱心な活動をつづけました。

結婚10年後、彼女はディエゴと離婚しますが、1年後には復縁します。
その年、かつての愛人だったトロツキーが、彼女の尊敬するスターリンの送った刺客によって暗殺されました。

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体の痛みはますますひどくなりこそすれ、よくなることはありません。
しかし彼女は絵を描くことをやめませんでした。

1953年、ついに右足を切断します。その年に初めてでしかも祖国で生存中たった一度きりの個展が
開かれることになります。

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地元の批評は、その個展を「彼女の絵は、彼女の人生だ」と評価しました。
ドクターストップがかかっていたにもかかわらず、彼女はベッドのままオープニングのあいさつに出かけ、
ベッドの上で人々に挨拶をしました。

その後、寝たきりのまま絵を描き続け、夫に結婚25周年記念の指輪を渡したひと月後に、肺塞栓症で
息を引き取りました。

「体が焼かれる。焼かれるのは嫌だわ。あたしの人生のほとんどは、寝たきりで過ごしたわ。
・・・ただ焼いてしまって!」と、彼女は死に際に言ったそうです。

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死の翌日、彼女は火葬場で荼毘に付されましたが、悲しむ人々の目の前で、彼女の死体は
炎の熱で縮み上がり、突然、跳ねあがりました。

髪は炎に燃え盛りまるで後光のように、唇には微笑をたたえているようにみえたそうです。
死にざまも実に個性的でした。

彼女の死後、ディエゴは二人の家をメキシコ政府に寄付しました。
その3年後に彼もなくなると、政府はその家・・・「青の家」を、フリーダ・カーロ美術館に改築しました。

・・・ちなみに、彼女の遺骨は粉末にされて、この「青い家」に周りに撒かれたそうですよ。

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自分の人生を描き続けた画家、フリーダ。
彼女はラテンアメリカの、メキシコの女性たちのあこがれになっただけではなく、世界的にも認められる
シュルレアリスムの偉大な画家となりました。

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この絵はペットの鹿の胴体に自分の顔。夫に傷つけられた彼女の悲しみを表しています。



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マグダラのマリア [l'histoires de femmes]

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マグダラのマリアは、現代では調香師の守護聖人です。
あ、理髪師と庭師の守護聖人でもあるんですって。

なぜ調香師の守護聖人かといえば、手に香油を持っているでしょう?
香油とマリア。

彼女は、イエスのママである聖母マリアと同じ名前ですが、別人です。
一般的には、若いころに派手で華美なことと享楽ばかりを好み、
イエスに出会って今までの軽薄さを悔い改める、というようなイメージです。

だから彼女は派手なアクセサリーやきらびやかな衣装、そして女性らしさの象徴である
長い髪で描かれます。

なぜ手に香油を持つのかというと、

①イエスの足を髪で拭って香油を塗った

②イエスを歓迎する為に香油を振りかけた

③イエスの遺体に香油を塗った

という、3人の女性のイメージが、グレゴリウス1世によって一人の女性像にまとめられたためです。
香油という共通のアイテムから、この6世紀の教皇はマグダラのマリア像を作り上げました。

中世の伝説では彼女はフランスのマルセイユにたどり着いてそこで数十年暮らしたと言われていますが、
『ダ・ヴィンチ・コード』では、これをもとにストーリーが作られましたね。

美しいが、悔い改めた女。
だから彼女はアンビヴァレントなイメージを併せ持つのです。

上品とみだら、悔悛と享楽。
カルロ・クリヴェッリが15世紀後半に描いたこのマグダラのマリアが、マグダラのマリアの絵では
一番好きです。理由は、きれいだからww



麗しのアンヌ [l'histoires de femmes]

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アンヌ・ドートリッシュ(1601-1666)は、スペインのフェリペ3世の娘でした。
利発な美少女は14歳の時に、和平のために政略結婚でフランスへ嫁がされました。

嫁ぐときには父王にすがりついて泣きじゃくったというエピソードも残っていますね。
王妃になってからはその美しさに、ルーベンスが何枚も彼女を描いています。

a.anne.Louis XIII.jpgルイ13世

彼女の夫となったのは、父アンリ4世が暗殺されたために王になったルイ13世。
母親のマリー・ド・メディシスが摂政として権力を握っていたし、そのうえ、リシュリュー枢機卿も
絶対的な力を持っていました。

a.anne.Marie de Medicis.jpgマリー・ド・メディシス

a.anne.cardinal et duc de Richelieu.jpgリシュリュー

14歳の少女にしてみれば、心細い輿入れだったことでしょう。
フランス語が話せないうえに、夫となった少年王は、まるで少女のよう、彼女には関心を示しません。
そして強い姑と、権力ある枢機卿。

何度かあらぬ疑いをかけられて、陥れられそうになったこともありました。
夫は23歳になってやっとひげが生えてきたというくらいの成長異常。
そのうえ、異性よりも同性愛の傾向が強かったようですね。これはのちに彼の死因にもつながります。
(同性愛が直接の死因ではないですよ!!!)

彼女に関心を示さないルイ13世。
アンヌは孤独だったことでしょう。
世継ぎを期待するあまり、周囲は子づくりさせようと必死でした。
無理やり服を引きはがして、ベッドに放り込まれたこともあったとか。

a.Anne d'Autriche3.jpgスペイン王女時代。

何度か妊娠と流産を繰り返しましたが、なかなか世継ぎに恵まれませんでした。
24歳の時・・・・嫁いで10年目、彼女は初めて、恋に落ちました。

a.anne.1st Duke of Buckingham.jpgバッキンガム公

イギリスの大使、バッキンガム公。
『三銃士』がお好きな方ならば、この辺のエピソードはよくご存知かもしれませんね。
それにしてもイケメンです・・・うむむ。

でも2年後に、彼は暗殺されてしまうのです。
彼女の人生はまた暗闇に逆戻りでした。

結婚して23年年目。やっと、ついに、彼女はひとりの子を産みました。
しかも、男の子。世継ぎの誕生でした!

「神の子」とよばれた、のちの太陽王ルイ14世です。

louisXIV1.jpgルイ14世。この肖像画はかわいくない☆

37歳にしてやっと、彼女は安堵したことでしょう。
そしてこの王太子が4歳になる年に、ルイ13世が大腸の病気で苦しみながらこの世を去りました。
・・・彼は、浣腸マニアだったので、それが原因かと思われます。

これによって彼女は幼い王の摂政となります。
彼女を支えたのが、リシュリューに見出されたマザラン枢機卿。

a.anne.Jules Mazarin.jpgマザラン

イタリア人だった彼は教皇のお使いでフランスに来てリシュリューに気に入られ、フランスに帰化したのです。
大嫌いなリシュリューのお気に入りでしたが、彼の政治手腕は認めていたのでしょうね。
アンヌはマザランに絶対的な信頼感を持っていました。

あまりにも信頼し切っているために、秘密結婚をしていたのではないかともいわれます。
亡き初恋のバッキンガム公にすこし、面影が似ているとも・・・。

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ずっと子供ができなかった彼女に23年目にして子供ができたことも、ルイ14世の実の父はマザランではないか
といううわさも無きにしもあらずでしたが・・・・。
DNA鑑定がない時代でしたから~w

マザランは自分の姪たちをフランスの名門貴族に嫁がせて出世を果たしたそうですが、その中の一人、
マリア・マンチーニはルイ14世がぞっこん惚れ込んでいたようです。

a.anne.mariemancini.jpgマリア・マンチーニ。確かに美人!

でも、和平のためにスペインの王女との結婚をマザランはすすめたのです。
この王女はマリア=テレーズ・ドートリッシュ、母アンヌの弟フェリペ4世の娘であり、父の妹の娘でも
あったので、父方から見ても母方から見てもイトコにあたりました。

a.anne.Marie Therese d'Autriche.jpgマリー=テレーズ

ルイ14世はマザランが死ぬまで信頼を置き、母のアンヌの政治手腕もほめたたえていました。
マザランが亡くなってからは親政をおこないました。

ところで、フロンドの乱などでルイ14世は幼いうちからパリを追い出されてさまよわなくては
ならないことがあったために、パリが嫌いだったそうです。

そのために彼はヴェルサイユに別の宮殿を建設したのです。
パリに戻らなくてもいいように・・・w

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マザラン亡き後、アンヌは僧院に隠棲し、そこでひっそりと亡くなりました。
フランス絶対王政の基盤を固めた美しき摂政は、実家のハプスブルク家から、裏切り者のレッテルを
張られたまま、許されることはなかったそうです。




The Affair of the Neckless~”V"の烙印を押された悪女~ [l'histoires de femmes]

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男爵家の令嬢として生まれたジャンヌは、不幸にも幼いころに両親を亡くし孤児になり、
修道院で育てられました。
しかし、持って生まれた性質からでしょうか、修道女になることを嫌って、院を飛び出しました。

そして運よく(悪くかも?)、ド・ラモット伯爵と偶然に出会い、結婚しました。

co.nicolas-de-la-motte.jpgド・ラモット伯爵。

このド・ラモット伯は超悪党で、自分の屋敷に貴族や僧侶達を呼び集めてはジャンヌを貸し出し、
彼らの相手をさせて金を稼いでいました。

自分の妻を娼婦にしていたなんて、常人には理解できない性癖です。

それでも伯爵夫人ですから、ヴェルサイユ宮殿にも出入りできるのです。
歴史上有名な詐欺事件は、1785年におこりました。

co.rohan.jpgロアン枢機卿。

当時、王妃マリ-・アントワネットの感心を買いたがっていたロアン枢機卿に、王妃とは懇意にしている
自分が、仲を取り持って差し上げましょうとジャンヌは申し出ます。

でも、そんなのは真っ赤な嘘です。
王妃とは話したことがないどころか、そば近くに侍ったこともなかったのですから。

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アントワネット。


ロアンは昔、オーストリアの宮廷でアントワネットの母のマリア・テレジアに嫌われていました。
彼が女遊びを派手に繰り広げていたためです。

道徳的に厳しく育てられたアントワネットも、その話を聞き知っていたために彼を嫌悪しました。
ロアンはフランスの宰相の座を狙っていましたが、アントワネットに毛嫌いされていたのです。

ジャンヌの計画は、王妃を陥れることでもロアンを陥れることでもなく、ある大物を売りさばいて金儲けし、
大金を手にしてヴァロワ家を復興することにありました。

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ルイ15世。



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デュバリ夫人。


アントワネットの舅に当たるルイ15世が、愛人のデュバリ夫人のために生前作らせたネックレス。
540個のダイヤをあしらった途方もなく高価なネックレス。

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これはその複製品です。


完成前にルイ15世が逝去して、デュバリ夫人は宮廷を追い出されたために、ネックレスが行き場を
失っていたことに目をつけていたのです。

宝石商はこのネックレスをアントワネットに見せて、購入を打診します。
でも途方もなく高価なことを理由に、アントワネットは購入を断りました。

本当は、舅の娼婦だった大嫌いなヂュバリー夫人のために作られたものを、いくら彼女が身に
着けていないとはいえ、自分が身に着けるのが嫌だったのかもしれません。

宝石商は困って愚痴をこぼしていました。
それをこのジャンヌが聞き知ったのです。

co2.jpgこれはデザイン画。

彼女はまずロアンに「王妃との仲を取り持って差し上げます」と近づきます。
そして王妃に面影の似ているマリー・ニコル・ルゲイ・デシニーという娼婦を見つけ出してきて、
高価なドレスを着せ、ヴェルサイユの庭園の暗がりに立たせ、王妃だと偽らせてロアンを「謁見」させました。

そしてロアンの信頼を得て、あとは宝石商に、王妃が例のネックレスをほしがっているので、
まず頭金をロアン枢機卿が払い、あとは王妃が分割払いで払うそうですと告げます。

王妃からの文書だと言って、文書偽造もしておきました。

宝石商は喜んで、ジャンヌの言葉を信じました。
そして王妃の代理人だという彼女に、ネックレスを渡してしまうのです。

ジャンヌはすぐにロンドンへ高飛びして、そこでネックレスをばらして売りさばき、大金を手にします。
一方、ロアンはいつまでたっても自分に声をかけてくれないアントワネットを非難します。
大嫌いなロアンから突然わけのわからないことをいわれたアントワネットは激怒します。

そして宝石商からも、アントワネットのもとに請求書が。

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ジャンヌ。


・・・・パリの民衆は、なんと王妃よりもジャンヌを信じました。
それまでの浪費や賭博からアントワネットが疑われるのも無理もない状況になっていました。

裁判が開かれ、アントワネットはもちろんのこと、ロアンも無罪を言い渡されます。
それはそうですね、だまされた被害者ですから。
ジャンヌだけは有罪です(これも当然)。

逃亡していたジャンヌは捕まって牢獄へ送られ、そこで鞭うちの刑に処されました。
そして「V」の烙印を肩に押されました。これはフランス語で「どろぼう」をいみする言葉の頭文字です。

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烙印を押されるジャンヌ。


その後は牢獄で終身刑に処されますが、なんと逃亡してスキャンダル本まで発行します。
転んでもただでは起きないすごい女性です。

あることないことアントワネットについて書き立てて、自分は被害者だと無茶苦茶なことを主張する彼女に、
なんと民衆は同情したと言います。

それだけ、民衆は王制を憎んでいたのです。

やがてその憎しみが、4年後のフランス革命を招くことになるのです。

co4.jpgThe Affair of the Neckless, ヒラリー・スワンクがジャンヌを演じています


彼女はのちに逃亡先のロンドンで35歳の若さで転落死しました。
事故か事件か、あるいは暗殺か。
それは謎です。


親まで毒殺!! 恐怖の毒殺魔・ブランヴェリエ侯爵夫人 [l'histoires de femmes]

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司法官を父に17世紀のフランスに生まれたマリーは、天性の美貌と才気があったにもかかわらず、つつましさに欠け、愚かしいほどに浮気な少女でした。

彼女はブランヴェリエ侯爵という、地位と財産はあるがあまり賢明ではない浮気な男と結婚しました。

当時の貴族たちにとって、お互いに愛人を持つことは黙認でした。
だから遊び人の夫が、妻が何人も愛人を持つことを黙認していたのです。

しかし、彼女の父親はそんな娘を許せませんでした。
司法官として彼女の一番のお気に入りの愛人であったゴーダンという士官を、牢に投獄してしまいます。

このゴーダンという男、なかなかの策士であり、さっそく獄中でエグジリという男から毒薬の作り方を教わりました。イタリア人のエグジリは、スウェーデンのクリスティナ女王に仕えていた、150人以上もの人を毒殺したという噂の毒薬師だったのです。

マリーは愛人が覚えた毒の調合を試し始めます。
小間使いや、はたはお菓子やワインに仕込んで慈善病院を訪れて、何も知らない人々に与えました。
こんなことを楽しみとしていたというのだから、怖い人です。


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ゴーダンはマリーの父に復讐しようとします。マリーも財産欲しさに、まずは兄弟たちをつぎつぎと毒殺しました。
父には毎日少しずつ毒を盛り、8か月かけて死に至らしめてしまいました。
上の娘が頭が悪いので、毒殺してしまおうかとも考えたと言います。
いったい、どんな思考をしているのでしょう?

しかし、ゴーダンがたまたま毒の調合中に事故死してしまうと、警察の捜査によって、ゴーダンがかけていた「保険」がみつかり、彼女は逮捕されるのです。

「保険」・・・・それは、ゴーダンはいつか自分も彼女に殺されるのではと疑念を抱き、もし万が一そうなったときには、犯人は彼女だと世間に知らしめるいくつかの証拠品を、小さな木箱の中に大切に保管しておいたのです。

かくしてマリーは逮捕されます。
ここからも彼女がただの女性ではないことがわかります。

イギリスへ逃亡し、捕まりそうになるとオランダへ渡り、そしてフランスの修道院に逃げ込みました。
しかしついに逮捕されてパリへ護送されます。

裁判にかけられてもひどい拷問を受けても、マリーは頑として自分の罪を認めません。
罪のほとんどを記した、告白録まであるのに、自分が書いたものではないと言い張ったのです。

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そんな彼女もろうとで口に水を流し込まれる拷問を受けて、ようやく罪を認めました。

そして群衆の罵声を浴びながらも毅然とした態度のまま、打ち首の刑に処されました。
彼女は火葬されましたが、その遺骨は魔よけのお守りとして、高値で取引されたそうです。

現代風に言えば、彼女は脳のどこかに損傷をきたしていたのかもしれませんね。
私には各部分の名称はわからないですが、感情が正常に発達しなかったのかもしれません。

毒殺犯の7割以上は女性であると言われますが、本当におそろしい女性です。



血の伯爵夫人・・・エリザベート・バートリー(lll-ω-) [l'histoires de femmes]

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女吸血鬼。
彼女は人々にそう呼ばれて恐れられました。

女の連続殺人犯は、そう多くはないのですが、彼女はその中でも断トツの猟奇的殺人者なのです。

トランシルヴェニア公国の名門貴族の家に生まれ、15歳でハンガリーの名門貴族に嫁ぎます。

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彼女はたぐいまれなる美貌の持ち主でした。
夫の母は、彼女の美しさや明るさが軍人の妻にはふさわしくないとのことで、彼女を嫌い、いじめたようです。

そのせいで性格がゆがんだ? うーん・・・・・

義母も夫もなくなって、一人でお城に住むようになってから、奇妙な行動が始まります。

彼女の棲むお城では、下働きの娘を常に募集しています。
でもどの娘も、二度とお城の外に帰ってくることはないのです。


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これはある偶然から始まりました。
かんしゃくを起こした彼女が召使の少女を折檻した時に飛び散った血が、彼女に付きました。
すると、血の付いた場所がほかの場所よりも艶めいて見えたのです。

彼女は美貌を保つためにあらゆることを試していたのですが、この残虐な美容法を最良と考えました。

なぜ?!としか言いようがないですが・・・・

若い娘をさらってきては、血を抜いてしまい、自分は娘たちの血で満たされたバスタブに入るのです。
そして赤ワインでなく血をのみます。

「鉄の処女」という拷問の道具を時計職人に作らせます。
人間の実物大の美しい人形ですが、ぱかっと観音開きに真ん中から開き、中に人間を取り込むと閉まるのです。内側にはとがった太い針がびっしりついていて、それが体に深く食い込むようになっているのです。

そのほかにも鳥かご型の同様の拷問具を作らせ、天井につるします。
血がしたたり落ちてきたら下に置いてあるバスタブにたれる仕組み。


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ジュリー・デルピー主演の”The Countess"2009年の映画です。血の伯爵夫人のお話。


なんとも信じられないことを思いつくものです。
そんなことが美容法になるわけがありません。

村娘をさらってくるうちは、農奴たちには何もできませんでした。
でもそのうちに彼女は、貴族の娘たちにも行儀見習いと称して城に招待し、血祭りに上げていきました。
これが彼女の首を絞めることになりました。
貴族たちの要請で、城は操作されることになったのです。

娘たちの血を搾り取るために使われた拷問道具の数々は、人々を震撼させました。

彼女は貴族であったために死刑は免れましたが、それから死ぬまで一生の間を、窓が一つもない部屋に幽閉されて暮らしたと言われます。

600人ほどの若い娘たちを殺してしまったと言われます。
間違いなく、人類史上最悪の女殺人犯でしょう。

こんな美容法、恐ろしいですよね・・・。



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