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雷神様のたたりじゃぁぁ~~>_< [l'histoires d’hommes]

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菅原道真(845~903)は、現在は学問の神様としてよく知られていますね。
受験生のいらっしゃるおうちでは、お守りなどあるのではないでしょうか。

小学5年生くらいの時に、ある和歌を習いました。

東風(こち)吹かば 匂ひ起こせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ
(春風が吹いたら その香気を私に届けて遅れ、我が家の梅の花よ。私がいなくても、春になったらちゃんと
咲いて香っておくれよ)

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なんだろう、ちょっとさびしい歌だなと思いましたが、そのあと高校生になって意味を知りました。

道真は学者の家系の出身です。
もとは土師(はじ)氏、埴輪を作る渡来人の家系でしたが、ひいおじいちゃんの時に桓武天皇(これまたママが
渡来人です)から、菅原姓を許されたのです。

5歳で和歌、11歳で大人顔負けの漢詩を詠みました。神童は二十歳すぎればただの人なのですが、
かれは例外でしたよ。
18歳で文章生(もんじょうのしょう)=今でいう難関大学の超エリート学生
23歳で文章得業生(もんじょうとくぎょうのしょう)=難関大の修士課程
26歳で方略試及第=博士課程をトップで終えた

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時の天皇宇多天皇に認められ、
蔵人頭(くろうどのとう)=天皇直属の秘書長官
左京大夫(さきょうのだいふ)=左京区を治めるトップ
参議=トップクラスの政治家で発言力がある
中納言=その上のクラス
大納言=そのまた上のクラス
そしてなんと、右大臣にまで上り詰めました。

当時、藤原氏が政権を掌握しつつありましたので、藤原でないのに右大臣とは、かなりすごい出世でした。
本人の努力もすごいけれど、運もよかったのです、が、こんな順風満帆に出世すると、不特定多数から嫉妬されるのは世の常です。

そのなかでも彼を目の上のたんこぶ扱いして忌々しく思っていたのが藤原時平(871~909)。
藤原摂政家のおぼっちゃま。道真より26歳も年下なのにすでに左大臣。
道真が宇多天皇にかわいがられているのを嫌がっていました。
だから宇多天皇が退位して醍醐天皇が帝位につくと、年の近い若い天皇に取り入って、道真をふたりで疎み始めたのです。道真の娘が醍醐天皇の弟親王にお嫁入りしていることも利用して、陰謀をでっち上げました。

「右大臣はあなたを廃位させて、弟宮を天皇の位に据えるつもりなのです」と、醍醐帝に吹き込みます。
これによって道真は大宰府の帥(そち)に任官され、いわば左遷されたのです。

上の和歌は、左遷されるとき、都を離れる前に詠んだものだったわけです。
道真は無駄に2年間を九州ですごし、失意のうちに病死しました。

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さて・・・

道真の死から5年後。
道真によって出世できたのに時平の陰謀に加担した、蔵人頭の藤原菅根がぽっくりと死にました。
翌年は時平が39歳の若さで衰弱死。
10年後、道真の後任の右大臣が狩りに出て泥沼で溺死、死体は発見されず。
923年には醍醐帝の皇太子が21歳で突然死、その皇子も2年後5歳で病死。

醍醐帝は亡き道真を右大臣に戻し、流罪も取り消しにしました。
でも不吉な死は続きます。

930年、清涼殿に落雷。大納言、右中弁、その他数名がこの落雷で死亡、負傷者も多数出ました。
道真の死後20年たっていましたが、その間、毎年の風水害と落雷、飢饉、旱魃(かんばつ)、疫病が
続いていたために、市井の人々まで道真のたたりと噂していました。

醍醐帝までもがたたりを信じ、譲位しましたが、その1週間後に病死しました。
時平の兄弟や子供たちも次々と亡くなりました。

右大臣が雷神となって京の都に戻り、復讐をしているのだ・・・・。

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時平の弟の息子で「ちゃっかり者」として有名だった師輔(もろすけ)は、一族がたたり殺されるのを
恐れる中、あることを思いつくのです。

そうだ、いっそ怨霊として恐れるのではなく、神様として祀ればええんちゃうか?

ということで、大昔から雷神信仰のあった北野に社を建てて、道真を勧進して神様にしたのです。
いまや北野天満宮は全国に25000社、受験生の味方ですw
北野天満宮は道真にちなんで梅園が有名ですね。

大学生になって京都で初めて住んだ場所の近所に、道真の屋敷跡である小さな神社がありました。
多少なりとも、縁があったのかな、なんて思いましたよw

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moritake

み〜ち〜ざ〜ね〜
零は存在する〜
もろすけ、発想の転換、nice!です。


by moritake (2011-10-21 01:14) 

elzawild

なるほど。そういうわけでしたか~。
by elzawild (2011-10-21 06:55) 

miata

いつの時代にも、嫉妬ってあるものですねー。
by miata (2011-10-21 07:52) 

詩人の血

いつも、読みやすい好奇心あふれる文体で
投稿御苦労さまです。

それにも増して日ごろの学会活動へのご理解重ねてお礼申し上げます。

さてインテリのniki様にお願いと言うか、お勧めと言うか…
我が師匠の池田大作先生の「新人間革命」の購読のお勧めです。
この大河小説は今22巻まで進み30巻で終わるらしいのですが、その遠大な長さはトルストイの「戦争と平和」を優にしのいで世界最長です。

読みやすいリアリズムの文体で山本伸一という池田先生の分身が主人公の広宣流布の心意気が伝わってくる読後感の良い意作品です。

作品の構造がモザイクで出来ているのでどの巻から読んでも良いように出来ています!

ブックオフで安く手に入れることが出来ると思います。

唐突なお願いで申し訳ないのですが「百聞は一見に如かず」
持ち前の好奇心を燃やされてどうぞ!

きっと役に立ちますヨ^^。
by 詩人の血 (2011-10-21 08:29) 

たいちさん

菅原道真を神様にしてから、タタリが納まったのでしょうね。
by たいちさん (2011-10-21 10:49) 

うーさん

我が墓前に我を嵌めた警察官二名と検察官そして裁判官五名の首を供えよ。でなければ次の50年、災いがもたらされるであろう。死んだ時にこういう遺言を残したいと思っているけど、まあ、人知れず死んでいくんだろうなあ。しかし、誰かの生き霊が祟っているのか、私には?
by うーさん (2011-10-21 18:57) 

はなぶく宇宙人

菅原道真が祀られ信仰されるようになったのには、そういった経緯があったんのですか。
「たたりを鎮めるため」から「学問の神様」となったのは、その天才ぶりからなんでしょうね。
この経歴なら、学問の神様も納得です。
by はなぶく宇宙人 (2011-10-21 18:58) 

マチャ

うちの近所に菅原神社というのがあります。
菅原氏の発祥の地と伝えられています(^-^)/

宇多天皇というと、「ツンデレ猫ブロガー」ですね(*´∇`*)
by マチャ (2011-10-21 19:05) 

千波矢

飛梅伝説の歌ですね。京都から太宰府に道真をしたって飛んできたと言う梅の木。梅にまでそれほど慕われる人柄だった人がやっぱり恨み辛みって人を変えてしまうものなんでしょうね。
学問の神さまになって落ち着いてよかったですよね。
by 千波矢 (2011-10-21 21:18) 

nana_hyr

ものは考えようなんですかね^^;
発想の転換をした時から物事がかわっていくのが面白かったです。
香りで季節を知る、優美な歌ですね。
by nana_hyr (2011-10-21 21:53) 

扶侶夢

以前読んだ本に“祟りと鎮め”の思想が日本文化の形成に大きく影響しているという説がありました。
by 扶侶夢 (2011-10-22 10:31) 

やまだ

なるほど、道真公が祀られたのには、こういう理由だったのですね。
前から、不遇な晩年であることは知っていましたが、なぜ、祀られたのか、今一つ、合点がいかなかったのですが、疑問が解けました。

勉強になりました。m(__)m

by やまだ (2011-10-23 19:23) 

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