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ただ、幸せでいたかっただけ。~フランスのおしゃれ番長の最期~ [l'histoires de femmes]

ma6.jpgこんなにも優雅で美しかったのに・・・






exe5.jpg幽閉生活ですっかり面変わりしてしまったアントワネット。



14日にアントワネットを断頭台に送るきっかけとなったネックレス事件のことについて書きましたが、今回はその後日譚です。



1789年に市民が武器庫であるバスティーユ牢獄を襲って、革命が勃発しました。
怒りに燃えた民衆は、ルイ16世一家をパリのテュイルリ宮に身柄を移させました。



そして2年後、国王一家はオーストリアへの脱出を図ります。
手助けしたのはアントワネットの愛人、フェルゼン伯でした。
しかし一家はあと一歩というところで正体がばれてしまい、パリに送還されます。



exe00.jpg幽閉中のアントワネット。




一家はタンプル塔に幽閉されました。
でも、この幽閉生活は一家団欒の平和なものだったようです。
バスタブや豪奢な家具、多くの使用人を持ち込んでいたと言います。
ここから、恋人のフェルゼンに、手紙と金の指輪を送っています。




exe.louisXVI1.jpgルイ16世の処刑。




しかし、革命裁判が始まると、ルイ16世は先に死刑に処せられました。
アントワネットの息子ルイ17世も、革命派に連れ去られてしまいました。



アントワネットは裁判で事実に反する多くの罪状について自ら反論します。
でも、いくら反論しても無駄なのです。
だって革命派たちは、革命のための犠牲として、国王夫妻を民衆の憎しみの対象に仕立て上げていたからです。



exe1.jpg法廷で証言するアントワネット




結局1793年10月15日に、アントワネットに対して死刑判決が下りました。



exe0.jpg




ルイ16世に遅れること10か月後のことでした。




exe6.jpg処刑の日の朝。泣いているのは娘です。




翌日、拘束されていたコンシェルジュリの独房で髪を短く切られ、粗末なナイトキャップと粗末な服を着せられて、彼女は馬車ではなく、荷馬車でコンコルド広場のギロチン台まで運ばれました。死に装束は全身白です。



exe8.jpg幽閉先のコンシェルジュリから引き出されるアントワネット。





あまりのショックで一晩のうちに髪がまっしろになった、とはよく言われることですが、
酷いストレスを受けると、短期間で白髪になってしまうことは、本当にあるようです。



exe01.jpg実際の幽閉されていた部屋。コンシェルジュリ。リアルな蝋人形が置かれています。





彼女は動揺する様子もなく、泣きもわめきもしませんでした。
義妹にあてて書いた遺書は、革命派のロベス・ピエールによって長い間隠されていたと言われます。
(でも捨てられなくてよかったです)




exe11.jpg連行中。





荷馬車に載せられた彼女に、憎悪を向けて罵声を浴びせる民衆。
彼女はどんな悪態を投げかけられても、まるでなにも聞こえていないかのように無表情でした。




exe13.jpg”The Affair of the Neckless"でアントワネットを演じているジョエリー・リチャードソンが、処刑台に連行されるシーン






断頭台はステージのように高座になっています。
もと王妃が階段を一歩ずつ上がると、群衆の興奮が高まり、歓声が次第に大きくなりました。



exe7.jpg






王妃だったころはファッションリーダーとして、つねに注目の的だったアントワネット。
美しかった面影はどこにも見られないほどにやつれ、容色は色あせた花のように衰えてしまいました。






ece4.jpg






有名なエピソードは、階段を上がる途中に死刑執行人の足を踏んでしまったアントワネットが、
「あら、失礼。わざとではありませんのよ」と言ったということです。





exe9.jpg




当時、死刑は一種の公開スペクタクルショーのようなものでした。
私たち現代人の常識からすればちょっと理解しがたいことですが、罪人が首を落とされる様を熱狂して見物するということは、古代ローマからよくあることでした。





exe000.jpg





14歳でフランスに輿入れした時、彼女は別の熱狂で歓迎されました。
しかし今は、憎悪を一身に浴びているのです。




ところでギロチンというk処刑器具は、罪人の首を木の板にはめ込み、上から三角の大きな刃を落とし、一瞬にして罪人を苦しむことなく処刑するものです。


以前からあった拷問・処刑道具のひとつでしたが、パリ大学医学部のギヨタン博士が、罪人も苦しまずに死ぬ権利があると三部会で主張したために、革命の罪人処刑に導入されるようになったそうです。




・・・そう、このギヨタン博士の名前から、「ギロチン」と呼ばれるようになったのです。




キャップをはぎ取られ、乱暴に首枷に押し込まれたアントワネットは、ひとつの深いため息をついて
おとなしく従ったと言われます。




最期は・・・・どんな死に方であれ、気高く逝こうとしたのでしょうね。







実は、義妹への遺書の中に、



「私には友人たちがいました。彼らとの永遠の別れを思うと、彼らの苦しみを思うことが死にゆく私にはもっとも辛いことなのです。最後の時まで彼らのことを考えていたことを、せめて彼らが知ってくれますように」




と書いたと言います。

「彼ら」となっていますが・・・・これはフェルゼン伯のことをさしていたようです。
彼女が死の間際まで思っていたのは先に無くなった夫ではなく、彼のことだったようです。



三万人の兵が取り囲む処刑台。
それを取り囲む、あまたの民衆。



exe2.jpg




ギロチンの刃は特別なもったいぶりもなくさっと落とされ、アントワネットの頭部は籠の中にごろんと落ちました。死刑執行人が、まだ血の滴る首の髪をつかみ、宙に掲げました。



一瞬、静まり返った群衆は、アントワネットの首を見てどっと歓声を上げました。



「共和国、万歳!!」



そうして人波は引いてゆき、興奮もどこへやら、広場は日常へ戻りました。




exe.jpg最後の肖像画。未完成のままでした。





「すべての敵が、私に加えた危害を許します」と遺書にあります。
37歳。




亡骸はごく一部が、革命が落ち着いた後にサン=ドニ大聖堂に安置されました。
(ぞんざいに扱われたため、一部でも発見されたのが奇跡的なことでした)



ma7.jpg




その死にざまは、威厳に満ちた、立派なものでした。











✄ฺ--------- キ ---- リ ---- ト ---- リ ----------------


スコットランドのおしゃれ番長の最期はこちら。
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アントワネットの姪で、ナポレオンに泣く泣く嫁いだマリー・ルイーゼはこちら
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rtfk

不幸にもちょうど時代の渦巻きの
真ん中に立ってしまった女性なんですね。。。
by rtfk (2011-07-17 06:41) 

トータン

毎日 これだけの資料を集めるだけでも大変な作業ではないか?って感じてしまいます(^^ すごいですね~
by トータン (2011-07-17 08:34) 

旅爺さん

よくぞ詳しく調べられましたね、驚きです。
爺はベルサイユ宮殿は見て来ました。マリーアントワネットの部屋もね。
そして処刑された広場にも行ってきました。
by 旅爺さん (2011-07-17 10:58) 

sig

こんにちは。
すばらしい記事ですね。これだけ膨大な資料、博物館で見るようです。私にもトップの絵を使った記事がありますが、それと下から2番目の肖像がそっくりですね。こういう容貌だったのでしょうね。事実はどうであれ、時代の流れにまだ若い女性が一人で抗うことは到底無理なことだったでしょう。彼女の最期はそれなりに立派なものですね。
by sig (2011-07-17 17:32) 

fumiko

nikiさん、niceもありがとうございます♪ 映画も観ました。
by fumiko (2011-07-17 19:11) 

ナツパパ

幽閉中でもこれほど多くの肖像画が描かれたのですね。
やつれた感じもしますが、毅然とした様子はさすがです。
by ナツパパ (2011-07-17 19:55) 

うみのつばめ

【一瞬にして罪人を苦しむことなく】というギロチンと、切腹の際に付く介錯人のシステム。洋の東西を問わず、楽にあの世へという情けは世界共通の物だったんですね。
by うみのつばめ (2011-07-17 21:41) 

aya

良くも悪くも自分の生き方を
貫いた人、運命に逆らわずに粛々と生きた人、両面を感じますね。
凄い人です♪
by aya (2011-07-17 22:20) 

ojioji

昔、中公文庫の世界の歴史桑原武夫氏の巻で読んだ世界を思い出しながら拝見、貴重な資料の数々を堪能しました。
by ojioji (2015-07-31 21:57) 

風太郎

遺書に「すべての敵が、私に加えた危害を許します」と遺したのは最後まで国民の事を思っていたのかもしれません。深い愛情と強い精神力は風太郎も思い知らされました。
本当かどうか知りませんが、ギロチンを発明した人は、皮肉にもギロチンで処刑されたと聞いたことがあります。

by 風太郎 (2015-08-01 15:25) 

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