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愛が何なのか、わからなかったの・・・。 [l'histoires de femmes]

Marie-Louise d'Autriche6.jpg

マリー・ルイーゼにナポレオンの再婚相手として白羽の矢がたてられたとき、彼女はまだ17歳の乙女でした。

「あんな人食い鬼と、誰が結婚するものですか」と言って、ナポレオンに2度もウィーンから追い出されたことを恨んでいたルイーゼ。ローマ皇帝の長女として育った彼女には、ナポレオンは憎むべき敵であり、野蛮人以外の何者でもありませんでした。「ナポレオン」と名付けた人形を叩いて育ったのです。

その憎むべき敵に、自分が再婚相手に決められたと知った時、彼女は泣き続けたと言います。
ハプスブルク家の皇女たちは、親には決して逆らわないように教育されているのです。

「ほんの少しの間、我慢するのよ。そうすれば人生はすぐに過ぎていくわ」と、4つ違いの姉のような継母に慰められて、彼女は自分の運命を呪いつつ、決心を固めました。

Marie-Louise d'Autriche10.jpg結婚の時の様子。

一方、ハプスブルクの皇女を娶ることになったナポレオンは、有頂天でした。
毎日のようにルイーゼに手紙を送り、彼女の輿入れを心待ちにしていました。
「フランスへ来る道筋は、すべてマリー・アントワネットの時と同じように」と指示を出します。

そのうえ、「陛下は少し太り過ぎだから、若い女性に嫌われましてよ?」と、
もと妻・ジョセフィーヌの娘に忠告されると、ダイエットのためにダンスを習い始めました。

確かに彼はこの時40歳、165cmでおなかがせり出してきていました。
一方のルイーゼは176cm。美女とは言い難いが、17歳の清らかな乙女です。

Marie-Louise d'Autriche11.jpg迎えに来たナポレオン。

彼女は宰相のメッテルニヒを深く恨みました。
この結婚を決めたのは彼だからです。

ナポレオンは待ちきれずに、地方まで彼女を迎えに来てしまいました。
ルイーゼはナポレオンの手紙に少し情をほだされていたようで、「人食い鬼」だと思っていた彼への印象も、
少し変わったようでした。

Marie-Louise d'Autriche12.jpg結婚式。

自分は、売り渡された花嫁…。

出来れば、望む相手に嫁ぎたかった・・・。

彼女は、あきらめて運命を受け入れることにしました。
1年後に男の子が誕生します。ひどい難産だったそうです。

Marie-Louise d'Autriche13.jpgナポレオン2世。ローマ王です。

彼女は子供に対してあまり愛情を示さなかったようです。
子供にどう接してよいのかわからなかったようで、乳母に任せきりだったといいます。
だから息子が初めて発した言葉は、乳母の名前だったとか。

MarieLouise1.jpgルイーゼと息子ナポレオン2世。

結婚後わずか2年目に、ナポレオンは敗戦続きで運命の女神に見放されてきます。

包囲網が狭まり、ルイーゼと息子はパリを去らねばなりませんでした。
彼女はナポレオンの元に行こうとしたものの、周りに阻まれてなりませんでした。

Marie-Louise d'Autriche7.jpg同じくルイーズ母子。

ナポレオンが追い込まれて退位すると、彼女はパルマ公国を息子のために手に入れようとします。
父帝とメッテルニヒは、彼女をナポレオンの元へ返す気はもうありませんでした。
彼女とナポレオンの結婚は、メッテルニヒと父ローマ皇帝の政治的策略による一時的なものだったのです!!

…メッテルニヒのさらなる策略で、彼女には新しい恋人ができました。のちに結婚します。
そして彼女の心は、ナポレオンから離れていったのです。

パルマ女公となり、新しい恋人との間に娘もひそかに出産した彼女は、本末転倒にも、
ウイーンにおいてきた息子のことを次第に忘れていきました。

彼女には、恋人と、その人との間にできた子供たちがいたからです。

ナポレオンがセント・ヘレナ島に来てほしいと何度懇願しても、彼女はすでにナポレオンを見捨てていました。
そしてナポレオンが死んだとき、自分の心臓をルイーゼに保管してほしいと遺言しますが、彼女は受け取りを拒否しました。

Marie-Louise d'Autriche9.jpg21歳で結核で亡くなったナポレオンの息子。亡くなるとすぐに称号を消され、領地も財産もすべて失くされたそうです。 

一方、母に愛されない子は、やがて結核にかかります。
母に会うことを楽しみにしては裏切られ、彼は大きな絶望を感じます。

「ゆりかごと墓場の間には、大きな無があるだけなのだね」と、側近に漏らします。

Marie-Louise d'Autriche4.jpg

ようやく彼女が会いに行ったとき、息子はもはや先が長くはない状態でした。
危篤状態になり、彼女は悔やみました。枕元で死をみとると、彼女はすぐにパルマへ戻りました。

Marie-Louise d'Autriche5.jpg

晩年の彼女は孤独でした。
夫にも先立たれ、再再婚した夫にも死なれ、若い歌手に名声のためにデマを流されたり、さんざんでした。

Marie-Louise d'Autriche2.jpg神聖ローマ帝国、フランス皇妃、パルマ女公を表すルイーゼの紋章。

リウマチ性胸膜炎で眠るように生涯を閉じたのは、56歳の時でした。

Marie-Louise d'Autriche3.jpg晩年のルイーゼ。

高貴な生まれながら、本当の愛を知らずに生きて死んでいったルイーゼは、自分から情熱的に誰かを愛したことも憎んだこともなく何の策略もなしに純粋に愛されたこともなく、女の幸せをあまり実感することなかった、
すこし気の毒な女性だったのです。

Marie-Louise d'Autriche8.jpg


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旅爺さん

沢山の写真に素晴らしい解説なのでじっくり拝見しました。
ナポレオンとその息子の墓は見て来ました。
by 旅爺さん (2011-07-08 05:50) 

岩崎ナギ

ルイーゼはある意味では、
非常に適応力の高い女性と言えますね。
その時その時を幸せに過ごすには、
信念よりも適応力が求められるのかも知れない、
そんな風に思いました。
by 岩崎ナギ (2011-07-08 09:39) 

rtfk

好きな人に好きと言える普通の庶民でヨカッタと思いました。。。
最近言ってないけど~(爆)
by rtfk (2011-07-08 09:49) 

水無月

いつも楽しく拝見しています。
文章も分かりやすく素晴らしいですね^^
by 水無月 (2011-07-08 12:54) 

sig

ナポレオンあたりの時代になると、もう昔という感じはしないですね。
by sig (2011-07-08 19:11) 

arles

面白いですね。

by arles (2011-07-08 23:19) 

Hirosuke

余りにも気の毒な人生です、みんな。
by Hirosuke (2011-09-02 13:48) 

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