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R.I.U.O. 自由主義の果てに ~情死か、陰謀殺か~ [Unsolved Misteries]

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もしも自分が死ぬことがあれば、これをある人物に渡してほしい・・・


オーストリア皇太子ルドルフはそう言って、従姉に小さな箱を手渡していました。


彼はもしかしたら、自分の死を予測していたのかもしれません。
その言葉通りに彼が死んだ後、ある人物が闇にまぎれて小箱を取りに来ました。

それは、サルバトール大公でした。
ハプスブルク家傍流ロレーヌ家のトスカナ大公の末子で、リベラリスト。
ルドルフの親友であり、思想の共有相手。


彼らの暗号はR.I.U.O。

イタリア統一運動によりウィーンに亡命していた身であったけれど、
箱を受け取った2年後、ヨハン大公は皇籍を皇帝の許可なく抜けその怒りを買い、
オーストリア市民権を剥奪されました。

自ら称号を捨てて一般市民と結婚してしまうような人なので、オーストリアを追い出されても
痛くもかゆくもなかったかもしれません。

その後、スイス市民となり船乗りになり、南米で難波して死んだとされています。


いったい、R.I.U.O.とは何を意味するのか?
なぜヨハン大公は秘密裏に箱を受け取り、オーストリアから消えたのか?


彼は、すくなからず皇太子ルドルフの死にかかわっているとみられています。


マイヤリンク事件。

30歳の皇太子が16歳の少女と狩猟用の小屋で拳銃で心中した事件。


1889年1月30日、ウィーン郊外の王室の狩猟小屋で、ルドルフとマリー・ヴェッツエラ男爵令嬢が、
血まみれで死んでいるのが発見されました。

少女の遺体はベッドに横たえられ、バラの花びらに埋もれていたといわれます。
彼はベルギー王女シュテファニーと結婚して娘を設けていましたが、性格の不一致から
初めから仲の良い夫婦というわけではなかったようです。

女優や娼婦と付き合い、妻には愛情を示しませんでした。


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王妃と。


厳格な祖母によって、母親のエリーザベトから生まれた時に引き離されました。
そして教育係から虐待ともいえるさまざまなひどい仕打ちを受けて成長しました。
7歳で母が養育権を取り返したおかげで彼の地獄の毎日は一転しますが、やはり幼少時の
人格形成期は重要なのでした。

王家の人間でありながら、彼は王家や貴族が好きになれませんでした。
ペンネームを用いて自由主義の記事を新聞に投稿していたこともあるようです。

多くの自由主義者たちと交わり、親交を深めていたルドルフ皇太子は、ヨハン大公となんらかの
たくらみを抱いていました。


その暗号が、R.I.U.O.。


保守的な皇帝の父と、自由を愛するその皇妃である母。
どちらかといえば彼は、母の思想に近かったのでしょう。

保守派が勢力を盛り返し、彼の立場も危うくなってくると、彼は人生を悲観したのかもしれません。
長年の愛人である女優に、心中を持ち掛けますがはぐらかされてしまいます。



そんな時、従姉の紹介で、彼は男爵令嬢と知り合うのです。
彼女はまだ少女というほどに若く、アイドルにあこがれるように皇太子にあこがれを抱いていました。
皇太子にお会いできるならば、死んでもいいわ。
恋に恋する年頃の、純粋な少女。

愛人に心中を断られた皇太子は少女に心中を持ち掛けたと言います。
そして二人は、命を絶つのです。


皇太子が自身の死を予感していたこと、実際に「死んだら彼女とともに埋葬してほしい」という
遺書を母エリーザベトにあてて残していたことは事実なのかもしれません。


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マリー



しかし・・・

ハプスブルク家最後の皇后は、ルドルフの死が陰謀だったと告白しています。
そこで例のR.I.U.O.。

これは暗号の一種で、UとOを逆にしてみると、

Rudolf Imperator Osterrich-Ungarn(オーストリア・ハンガリー皇帝ルドルフ)

の略字になると言われます。


なるほど・・・父である保守派の皇帝を廃位させ、自由主義の新皇帝を誕生させようという
クーデターのシンボルになる・・・・

あるいは、入れ替えなくても何か別の、ちょっと似たような暗号なのかも?
私がドイツ語の勉強不足で、予測が立ちません(笑)スミマセン。


自分が暗殺されるかもしれないと考え始めた皇太子が、何らかのメッセージをしたためて、
小箱に込めてヨハン大公に渡した・・・と考えられなくもないですね。
あるいは、クーデター計画のなんらかの証拠が入っていたとか・・・

皇太子が皇太子妃と不仲なのを利用して、心中に見せかけて暗殺?
そうすれば、犯人は必要がないですからね・・・

でも、皇太子を暗殺させるほどの人物って・・・・


真相は、闇の中。






エリーザベト→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-11-23-4

エリーザベト美容番長編→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2012-04-08-1



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ナポレオンの死 [Unsolved Misteries]

フランスの英雄、ナポレオン1世。

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ワーテルローで敗戦して、1815年、セント・ヘレナ島に流されましたね。

そして6年後の5月5日に51歳で死亡しました。



西アフリカから2000㎞も離れた孤島で、かつての英雄は寂しく息を引き取りましたが、
彼は生前、

「私の死は自然死ではない。英国独裁政府と彼らが雇った暗殺者に殺されるだろう」

と遺言書に記していたそうです。


イギリス総督のハドソン・ロウが監視役としてそばにいたし、いわば負けた相手に
見張られた孤島の生活、いつ命を狙われてもおかしくはないと思っていたのでしょうか。

実際、ロウはねちねちナポレオンをいじめていたようです。



5月6日、市の翌日、ロウの要請で解剖が行われました。

ナポレオンの侍医一名、英国の軍医六名。

侍医は肺炎による肝臓病の悪化であるとの見解を示し、
英国軍医たちは胃がんによる胃潰瘍の悪化と判断を下しました。


遺伝的に胃癌の家系だったようで、長い間、死因は胃癌だと信じられてきたそうです。
しかし、1960年代にスウェーデン人の歯科医が、ナポレオンの使用人の日記から毒殺説を唱えました。

ナポレオンの遺髪からは平常値の13倍ものヒ素が検出されたというのが、根拠のようです。




ナポレオンはシャンベルタンというフランスの赤ワインが大好物で
寝る前の1杯くらいの晩酌を続けていたそうです。

でも大西洋の孤島では手に入れることが難しいのです。
だから風味の似ている南アフリカのワインを取り寄せていたのですって。

そのワインに大量のヒ素が混入されていて、毎日の晩酌で摂取して・・・と。



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これには二つの意見があるみたいです。

①ホントに暗殺された。
のちに側近のモントロン伯爵が、自分がやったと告白しました。
こんな告白がありました、と子孫が発表したそうです。

②いや、やっぱり胃癌でしょう!
ヒ素は髪の毛を保存するのにつかわれたから、髪の毛からヒ素が検出されるのは当然だから。
実際に胃の中に癌と潰瘍が見つかったし。





そして究極の陰謀説。

セント・ヘレナで死んだのは、実はもと農民のそっくりさん、つまり影武者である!

・・・だそうです。



まぁ、今の医療科学ならば、死因は簡単に解明できそうですね。












何が彼を死に至らしめたか? [Unsolved Misteries]

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医学の進歩目覚ましい現代ならば、そんなことは簡単にわかってしまったかもしれませんね。
でもこれは、そんなじだいではなかっただけに、人々の想像を大変に刺激したようです。

古典派の、誰でも知っている作曲家、モーツァルト。

小学校の頃、音楽室に古めかしい肖像画がベートーベンやバッハやハイドンとともに飾られ
ていましたっけ。

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[右斜め上]
これって、死後に想像で描かれたものだそうですね。

実際の彼は160cmちょっとくらいで小太り。

3歳で作曲を始めた天才音楽少年で、どこへ行ってももてはやされていましたが、神童はやはり、神童
なのですね。成長すると世間からもてはやされなくなりました。

で、今回はその死因に関する謎です。

急性粟粒(ぞくりゅう)疹熱といって、15世紀末から16世紀半ばまでヨーロッパで流行した病気で
亡くなったと言われます。要するに、気が狂いそうなほどの熱病のようです。

でもほかにも水銀中毒だとか、リューマチだとか梅毒だとかの推測もなされています。

むくみがひどかったことから、毒殺説も死後に広まりました。
太ももから腹部にかけて、腫瘍があったそうです。

これはイタリア産(ホラ、「毒殺」=「イタリアする」でしたから!)のアクア・トファナという、当時の
ヨローッパで暗殺のために流行(!)した毒薬によると言われました。

何日もかけてじわりじわりときいて、ある日ぱったり亡くなるという恐ろしい毒薬ですって。
これを食べ物に混ぜられたのでは?というのが後世の仮説のひとつ。

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これは若いころのコンスタンツェ。


毒殺説の犯人予測は・・・

①妻のコンスタンツェ。 理由は、モーツァルトが友人の妻と不倫していたから。

②宮廷楽長のイタリア人音楽家のサリエリ。モーツァルトと対立し、演奏会を妨害したとのウワサもあり。

そしてそれよりも大掛かりな仮説は、暗殺説

オペラ『魔笛』に、フリーメーソンリーの教義がちりばめられているそうです。
この歌劇は、脚本、作曲、歌手、俳優などもみんなフリーメーソンリーのメンバーだったそうです。
あ、もちろん、今現在も続く秘密結社ですが、通常は暗殺はしない、とおもいますw

モーツァルトはこのメンバーの一人で、内密の儀式の様子を外部に漏らしたから殺されたのだ、と。

だから彼は亡くなってすぐに参列者も許されないまま、共同墓地にひそかに葬られたために、正確な
墓の位置もわからないのだ・・・・と。

『魔笛』を書き上げたころの彼は、フリーメーソンリーに傾倒していたとか。
これはあくまで仮説ですが、ひとつ、奇妙なことがあるために疑いをもたれたようです。

モーツァルトが亡くなった同じ日に、彼の友人で同じフリーメーソンリーのメンバーである
ホーフデーメルが、自宅で妻と無理心中をしたのです。

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実はこのホーフデーメルの妻がモーツァルトの不倫相手のマグターレ。
ホーフデーメルは妻の喉をカミソリで掻き切った後、自分の首もそうして自殺しました。
でも、妻は助かりました。

モーツァルトのお葬式の帰りに寄った別の友人によって発見されて一命を取り留めたのです。

ホーフデーメルが妻を取られた個人的腹いせにモーツァルトを毒殺したのか。
あるいは、組織に命令されて手を下したのか・・・

ということで、現代医学をもってすればすんなりと死因がわかったでしょうが、今となっては遺骨も
どこだかわからないために、数人に犯人の濡れ衣が着せられたまま、永遠のミステリーとなって
しまったのです。


幽閉された二人の王子 [Unsolved Misteries]

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暗闇の中を、寄り添って不安そうにおびえながら辺りを見回す二人の少年たち。

ジョン=エヴェレット・ミレーの描いた、エドワードとリチャードです。

二人の父は、イングランド王エドワード4世。
彼らは正当な王位継承権を持つ王子たちでした。

しかし、父の弟グロスター公リチャードは、王位を狙っていました。

エドワード4世が病死すると、13歳のエドワードが王位を継承してエドワード5世となります。
しかし、戴冠式もまだおこなわれていないうちに、叔父のリチャードはエドワードと11歳の弟・ヨーク公リチャードの二人をとらえてロンドン塔のブラディ・タワーに幽閉して、王位無効を申し出るのです。

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The Bloody Tower, London Tower


13歳と11歳の正当な王位継承権を持つ王子たちは、暗くさびしい塔に閉じ込められました。
叔父のリチャードは王位を継承して自分が王になりますが、たった2年でリッチモンド伯ヘンリー・テューダーに
討ち破られます。

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リッチモンド伯はヘンリー7世として即位しますが、この幼い王子たちの姉・エリザベス・オブ・ヨークを妃に
迎えています。

二人の王子の行方は知れません。
塔の中で殺されたとも、誰かが密かに逃がしたともいわれます。

ホワイトタワーの南の階段下から、子供の骨が発見されました。
もしや・・・?

1933年に骨の鑑定が行われましたが、結果は「特定されず」。
英国王室のミステリーの一つに上げられる事件です。

真相は闇の中・・・・。





Jack the Ripper [Unsolved Misteries]

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世紀末のロンドンを震撼させた、なぞの連続殺人犯・切り裂きジャック。
ロンドンに行ったときにロンドン橋駅の近く、ロンドンダンジョンに行きました。
ここはいわば、お化け屋敷のようなものです。拷問道具や切り裂きジャックに関するものが、たくさんあります。

殺された女性たちの蝋人形は、発見された当時のままの状況を再現してあります。
こんな暗い路地で殺されるなんて・・・とぞっとします。

ロンドンダンジョンの記事はこちら→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-04-07-3

さて、本題に張ります。

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1888年、春ごろから不審な他殺体が発見されるようになりました。
4月3日、エンマ・スミスという娼婦が殺されているのが発見されたのを皮切りに、
8月上旬にはマーサ・タブラン、
8月31日にはメアリ・アン=ニコルズ。喉を裂かれていました。
9月8日はアニ・チャップマン。喉と全身を裂かれていました。
9月30日にはエリザベス・スライド、その発見の50分後にはキャサリン・エドーズが惨殺されました。

どの手口も被害者の体が鋭利な刃物で切り裂かれていたことから、犯人は同一人物であると考えられました。
でもまったく、手掛かりがないのです。
だから人々はこの謎の殺人鬼を「切り裂きジャック」と呼んだのです。
「ジャック」とは、「奴」というような意味がありますから。

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わかります? 徐々に手口に残忍さが増し、殺人を犯す感覚が狭まっているのですよ。
これは典型的な連続殺人犯の兆候を示しています。

被害者はいずれも路地裏で身を売る場末の娼婦たちでしたが、得体のしれない殺人鬼から身を守るため、
市民は自警団を結成してパトロールを始めました。
だから、10月は殺人鬼はなりを潜めていたのでしょう。

でも、自己主張は忘れないようでした。
10月、通信社に手紙が届きます。自分は「切り裂きジャック」だと告白した、かなり挑発的な文章でした。
同様なものがスコットランド・ヤード(ロンドン市警)や新聞社にも送られました。
愉快犯の可能性も否めませんが、本人である可能性も高かったのです。なにせ、殺しを予告した手紙であり、
手紙の届いた後にそこに書かれていたような方法で新たな殺人が起きたので・・・。
それに、自警団のリーダーに贈られた手紙には、なんと殺されたキャサリン・エドーズのものだという
人間の腎臓の一部が送りつけられてきたのですから・・・・。

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11月、殺人鬼は再び活動を始めたようでした。
11月9日、メアリ・ジェーン・ケリーを殺してバラバラに解体しました。
12月20日、捜査の網をすり抜けてローズ・マイリットを殺しました。

そしてまたしばらく月日があきました。
さすがに、捕まる危険が高くなったためでしょう。

そして1889年7月17日、同様の残忍な手口でアリス・マッケンジーが、
間が空いて1891年2月13日にはフランシス・コールズが殺されました。

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たぶん、発見されていないか関連づけられていないだけで、もっと多くの犠牲者がいたのかもしれません。
FBIのもと心理操作感のロバート・レスラー氏によれば、連続殺人犯はいきなり大量に殺人を始めたりはしないそうです。最初の殺人を犯してから長い潜伏期間を得て、ある日、殺人を犯します。
そして徐々に間隔を狭めていくのだそうです。

だからたぶん、少なくとも1888年の一連の殺人事件のかなり前にも、「彼」は殺人を犯している可能性が高いようです。では、犯人はいったい誰なのか? 人々は様々な予想をします。

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①切り口や内臓の位置を把握していることから、外科知識のある人間(=医師)。
②ある王室関係の画家
③そしてもしやの、王室の一員・・・・
④ロシアのアナーキスト
⑤ロシア人の医師
⑥近所に住んでいた精神病患者
⑦肉屋もしくは家畜解体業者(解体が驚くほど素早いため)

③に関しては、ヴィクトリア女王の孫のクラレンス公エディが疑われていました。父親が早逝しなければ
やがては皇太子にもなる立場でしたが、精神疾患があり、同性愛志向のために、差別されてそのような噂を
立てられたのかもしれません。彼は「クリーヴランドの醜聞」とよばれる、男娼買春事件にかかわっていました。
これは何人かの有名な貴族も摘発されましたが、その中の一人ユーストン伯爵はクラレンス公エディの親しい
知人でした。彼がクラレンス公エディをその娼館に誘ったといわれます。

ユーストン伯爵はフリーメーソンという秘密結社のメンバーで、もしや自分たちの醜聞から世間の目をそらすために娼婦殺しを企てて、存在しない殺人鬼を作り上げたのでは・・・などという人もいましたが、これは突拍子もない考えでしょう。

様々な情報がスコットランドヤードに寄せられましたが、どれも有力とは言えないものばかりでした。
1891年の殺人から、切り裂きジャックの気配はなくなりました。
人々は、切り裂きジャックは死んだのか・・・などと噂し合いました。
そのころにテムズ川に上がった青年弁護士の遺体が、切り裂きジャックではないかとも言われました。

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40代の娼婦たちが多く殺されました。20代も一人いたのですが、暗闇なのでもしや中年に見えたのかもしれません。このことから、「身持ちの悪い中年女」が対象だったことがわかります。

当時、貧しい人々はたくさんいました。一人で生きていけない女性が身を売るようになっても、責めることはできないくらいの貧しさ。殺された娼婦たちには同情が集まりました。

切り裂きジャックはたぶん、母親が娼婦だったか、あるいは身持ちの悪い女だったのでしょう。
だから「母親のような」娼婦たちを、母の身代わりとして狙ったのかもしれません。
たぶん、「彼」は見るからに凶暴な男ではなかったはずです。それどころか、どこにでもいる、まじめで
おとなしい、よい市民の一人として、周りともそれなりにコミュニケーションをとって生きていたかも・・・。

どうにせよ。真相はもはや闇の中・・・・。







ラ・ジョコンダ [Unsolved Misteries]

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モナ・リザのモデルと言われているイタリア商人の夫人の(かもしれない)遺骨が発掘されたそうです。
本人かどうかの確かめようはないでしょうね。

ダ・ヴィンチの描いたあの世界的に有名な絵画はいがいに小っちゃくて、実物を見た時は
そんな意味で驚きました。



モナとは「夫人」
リザはモデルの女性の名前・エリザベッタの愛称。
モナ・リザは「リザ夫人」とい意味。

夫の名字を女性形にして「ラ・ジョコンダ」とも呼ばれます。
まぁ、ダ・ヴィンチが描いた当時はタイトルは違ったかもしれませんが、誰もわからないようです。

この絵は遠近法を用いている点で新しい手法をとっていたし、黄金比にも当てはまります。
口元がかすかに微笑んでいるように見えるので、「謎のほほえみ」とも言われていますね。

女性でありながらどこか中性的にも見えます。
格別美女でもないのに、世界中の人々に注目され続けています。

モデルがだれであれ、この絵の人物には左目の付け根に小さなしろいツブが描かれているので、
高脂血症だったと言ったお医者さんがいましたよね。

ダ・ヴィンチがフランスにやってきたために、この絵もともにフランスにやってきました。
1911年8月には、ルーヴルから大胆な方法で盗まれました。

盗み出したのはイタリア人のペルージアという男とランチェロッティという2人の兄弟。
詐欺師と贋作画家もかかわっていたと言われます。
絵が失踪している間に8枚の贋作を作り、カモを見つけて売りさばきました。

詩人のアポリネールが逮捕されたり、ピカソが容疑者として事情聴取を受けた点でも大事件です。
結局、仲間割れのせいで2年後の冬に絵は発見されます。
容疑者たちは逮捕されますが、イタリアの裁判では「愛国心ゆえにフランスから奪還した」と言い、
ペルージアは無罪!

それから現代に至るまで、この絵は防弾ガラスに守られていて、柵で囲われていますw

モデルはだれか?
たぶん、ダ・ヴィンチは当時でも有名人な、何でもできる天才だったことでしょう。
でも当時の人々がその凄さの真意に気づいていなかったのかな、とも思ってしまいます。

今ならばだれでも本や先人によって知らされていることを、彼は自ら発見して知っていたのです。
緻密な計算、絵に隠された普遍のメッセージがあるからこそ、いまでも注目され続けるのでしょうね。






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ルイ17世 [Unsolved Misteries]

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ルイ17世は、ルイ16世とマリー・アントワネットの二男として1785年に生まれました。
生まれた時からノルマンディ公爵の称号を与えられた、愛らしい王子でした。

長男が夭折してしまうと、アントワネットの浪費はさらにエスカレートして、「赤字夫人」と呼ばれました。
1789年、市民がバスティーユを襲い、武器を手にベルサイユへ行進して、フランス革命が勃発します。

国王一家はとらえられますが、スウェーデン貴族でアントワネットの愛人であったフェルゼン伯の手引きに
よりヴァレンヌ逃亡を企てて失敗し、一家はタンプル塔に幽閉されました。
(フェルゼン伯の意外な最期はこちら→http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-05-31 )

その時彼はたった6歳。
2年後には父も母も公開処刑されてしまいます。

ルイ少年は父母と引き離され、靴屋のシモン夫妻に教育されます(監視です)。
しかしシモン夫妻はある日突然に教育係を辞退してタンプル塔を去りました。

それから2年間、少年は独房に入れられて、一日一回の食事を与えられるほか、放置されます。
そしてある日、結核で病死しているのが発見され、共同墓地に葬られました。

しかしこの哀れな10歳の王子のために塔に運び込まれたひつぎは165cm大。
遺体は10歳にしては成長しすぎています。

シモンの妻はのちに尋問にかけられ、塔を去るときに箱にいれて連れてきた浮浪児と王子をすり替えた
ことを告白しましたが、王子の行方は知らないと言いました。

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37年後…自分はルイ17世だと名乗る男が、ドイツからやってきます。
幼い時のことをよく覚えていて、身体的特徴も同じものがあると言います。
まるでロマノフのアナスタシアの男性版です。

姉である王女に面会することを希望しましたが、姉は決してこの男と面会することはありませんでした。
国王ルイ・フィリップは調査を始めましたが、中断してこの男をイギリスへ強制移送します。
それからこの男はオランダで病死するまで、悲惨な半生を送りました。

2000年、ルイ17世のものと思われる心臓と、マリー・アントワネットが所蔵していた
王子の髪、アントワネットの母系の血縁者たちとのDNA鑑定が行われ、王子本人だと確定されました。
そして遺体は2004年にパリのサン=ドニ聖堂に埋葬されたのです。

さて、本当に王子は幽閉中に死んだのでしょうか、それとも王党派の残党たちによって脱出してひそかに
どこかで生きて、亡くなった後にすり替え埋葬されたのでしょうか?

・・・真相は誰も知りません。


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7月14日はフランス革命の日~。
ということで、勝手にフランス特集ですw


ウソか思いこみか?・・・思い込みなら、しかたないかも? [Unsolved Misteries]

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1896年、ポーランドのある農家で、一人の女の子が生まれました。
フランツィスカ・シャンツコフスカ。
もしかするとこの女の子は、物静かで思慮深い、地味な性格だったかもしれません。
生まれた家柄も場所も時代も、彼女の満足するものでなかったことは、ちょっと想像することができます。

彼女は想像の中でだけ、お姫様になって、そこに幸せを見出していたのかもしれません。

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第一次世界大戦がはじまったころ、彼女はベルリンの軍事工場で働き始めました。
愛する婚約者は出征しています。
ひたすら無事を祈り、働く日々。

でも1920年のある日、訃報が届きます。
婚約者が全線で戦死したのです。

若くて美しい女性にとって、戦争でそれらを無駄にして過ごさなければいけないことは、どのような
苦痛でしょう。しかも、愛する人までも戦争に奪われてしまったのです。

彼女には、ほかには何もなかったのです。
24歳の彼女が絶望したとしても、無理もないことだったでしょう。

工場で製造していた手榴弾。
誤爆だったと言う説もありますが、もしかしたら、わざとだったのかもしれません。

戦争を、自分の薄倖の運命を呪いながら、彼女はそれを落としたのかもしれません。
手榴弾は、爆発しました。

彼女は、工場から失踪した、ということになりました。

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それから間もなく、ベルリンの橋の上から、川に飛び込もうとしている若い女性が、警察の巡査長によって
助けられました。

その女性は傷だらけでした。名前を聞いても、決して名乗りません。
身分がわからないことで、警察は彼女を精神病院に収容しました。

病院で彼女は、「フロイライン」(=おじょうさん)と呼ばれました。
彼女はどうやら記憶がないようで、自分のことについて何も話しません。
憂いをたたえた悲しげな美しい瞳。
どことなくはかなげで品のある横顔。
いつしか誰かが、彼女はもしや、アナスタシアではないか? と言い出し始めます。

アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ。
1918年の夏に、父であるロシア皇帝ニコライ2世や母の皇后アレクサンドラ、3人の姉たちと1人の弟と
ともに、一家でレーニンによって処刑されたロシア皇女・・・・

処刑された時、皇女は17歳。そして精神病院のフロイラインは20歳そこそこに見えました。
おまけに、彼女は自分はアナスタシアかもしれないと信じはじめたのです。
彼女は皇女よりも5歳は年上ですが、童顔だったのかもしれないですね。

それからは、慣性の法則が働いたように、彼女の運命は勢いよく転がり始めました。

「処刑されたはずの皇女が生きていた!!!」

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世間は騒がしくなりました。
そんなはずはないという人たちと、きっとそうなんだという人たちが、彼女の周りに集まりました。

手榴弾の爆風でできた体中の傷は、銃殺刑でできた傷だと、誰かが言い出しました。
アナスタシアに身体的特徴が似ていると、もと側近が証言しました。

・・・はじめから、世間をだますつもりは、あるいはなかったのかもしれませんが。

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本当に、記憶がなくなったのか?
あるいは、今までの人生をすべてナシにしたいという強い願望が、思い込みを産んだのか?
周りに皇女だと言われ、いや、皇女ではないと言われ、そのことで強い自己暗示にかかったのか?
彼女を皇女に仕立て上げ、おこぼれにあずかろうとする人々に、利用されたのだろうか?
あるいは、純粋に皇女が生きていてほしいと望んでいた人々の願望に応えたのだろうか?

いろいろな憶測が生まれますが、本人ではないために真実はわかりません。
とにかく彼女は、ロマノフ王朝最後の皇帝の生き残った末娘として、ロマノフの莫大な遺産を受け取ることを
主張して、訴訟を起こしました。

彼女は、望み通り、まったく違う人生は、手に入れることができたようです。
不幸なお姫様として、人々から注目される人生。

a.Anna Anderson5.jpgアナスタシアは病弱だったそうです。

今みたいにDNA鑑定があればことは簡単に済んだでしょう。
コンピュータに骨格をスキャンして比べれば、本人か赤の他人かもすぐに判明したでしょう。
でもこの時代はまだそんな科学捜査は不可能だったのです。

結局、だれも彼女が本物なのか偽物なのかを確証することができなかったため、この訴訟は長い期間の
あとに却下されました。

ポーランドの農家の娘、フランツィスカ・シャンツコフスカは、1920年に行方不明になったまま、生死さえも
わかりませんでしたが、のちに彼女の兄弟がこの記憶喪失の「ロシア皇女」をみて、自分たちのきょうだい
であると認めました。でも、「彼女の新しい仕事をじゃましいてはいけない」と言ったとか言わなかったとかで、
それ以上「ロシア皇女」がフランツィスカだと言うことをやめたそうです。
(あるいは、支持者たちに口封じのお金でももらったのかもしれませんが・・・)

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彼女は、アナと名乗り始めます。
チャイコフスキーという姓を名乗りますが、支援者の力添えでアメリカにわたってからは、アンダーソンと
名乗り始めました。

そしてグリーンカード取得のために、アメリカ人支援者のマイク・マナハンと結婚しました。
・・・彼女がもしも、純粋に「ポーランドの農夫の娘で、薄倖の女性」である自分の人生を捨てて、
夢のようなお姫様としての人生を望んだだけだったとしても、周りは明らかにおこぼれにあずかろうとした
人だらけだったことでしょう。

アナが結婚した男性は、自分はのちにロシア皇帝になるのだと周囲にうそぶきました。

もしも彼女が初めから悪意に満ちた詐欺師であれば、おそろしく才能のある詐欺師だったことでしょう。
1920年に騒がれ始めてから1984年に肺炎で亡くなるまで、彼女は何の仕事もしなかったのですから。
死ぬまで、支援者の援助で暮らしたそうです。

アナスタシア皇女の実の祖母にあたるフョードロヴナ皇太后は、殺された孫娘を名乗るアナに、決して
会おうとはしませんでした。本物かどうか確かめてほしいという人々の話など、聞き入れなかったのです。
・・・ディズニーのアニメと現実は、悲しいくらい違っていますね。

a.anastasia.mariafeodorovna.jpgアナスタシアのおばあちゃん。

皇太后にとってアナが本物であるか偽物であるかなど、どうでもいいことでした。
彼女の息子や嫁や孫たちは、時代に殺されたという事実だけで、十分だったからでしょう。

ロマノフの血筋の親類たちが、彼女を偽物としていろいろな証拠集めをしましたが、結局、真相にたどり
着くことは、いつももう一歩のところでできませんでした。

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晩年、アナは田舎でひっそりと猫たちと暮らしました。
周囲には変人扱いされながら。
でも、うそつきとか詐欺師とか言われるよりは、ネコ屋敷の変なおばあちゃんだと思われるほうがよかった
かもしれません。

はたして、稀代の詐欺師だったのか、自己を捨てたいがための強烈な自己暗示の中にみずから
とらわれて、引っ込みがつかなくなってしまった哀れな女性なのか・・・・

真相はわかりません。


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近年、アナスタシアの姉と弟の骨が発見されて、ヨーロッパのあちこちのロマノフの血筋とDNA鑑定したところ
一致しました。

一方、アナの小腸の一部とも照合されて、やはり一致しないことが判明しました。

それでも根強い支持者たちは、その小腸がほんとうにアナのものではないと言ったり、誰かの陰謀だと
言ったりするようです。

いづれにせよ、「処刑された美少女が、実は生き残っていた」ということに、ひとはロマンを感じるのでしょう。
信じたい人は信じればいいし、信じない人は信じない、思いこみたい人は思い込み、ナンセンスだと言えば
それはそれで・・・。




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ファラオの呪い? ~死の翼~ [Unsolved Misteries]

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1922年、エジプトの王家の谷で、20世紀最大の発見の一つ、ツタンカーメン王の墓が発見されました。
発見者はイギリス人のカーター博士。

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幸運にも、3.500点余りの副葬品や黄金のマスクは、盗掘を免れてその華麗なる姿を現しました。

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ツタンカーメンは第18王朝最後の王です。
パパはイクイナートン(アメンホテプ4世)、継母は絶世の美女ネフェルティティ。
→ http://niki310.blog.so-net.ne.jp/2011-04-15-18
妻はネフェルティティの娘・アンケセナメン。

王の眠りを妨害する者には、死の翼が触れるだろう


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そう書かれてあったにもかかわらず、調査隊はひつぎを開けました。
中には18歳で亡くなったといわれる王の黄金のマスクの傍らに、ひなげしの花束が添えられていました。
王妃がいれたのでは?とロマンティストたちは考えました。
嬰児の遺体も入れられていたというので、同じ時期に死産か生まれてすぐになくなった息子か娘でしょう。

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その死因は毒殺、撲殺などの暗殺説と、馬車からの転落・骨折・感染症死など、様々です。
頭部に殴られた跡があることはCTスキャンでわかっていますが、直接の死因ではないようです。

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さて・・・

ここからが本題ですよ。

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発見から半年後に、出資者のカーナボン卿が蚊に刺され、敗血症で亡くなりました。
これは連続死の序章にすぎませんでした。
彼は熱にうかされながら、カイロのホテルのベッドの上で、しきりと「呪いが・・・」とうなされていたそうです。

カーナボン卿の異母弟が、突然発狂して自殺します。
ロンドンの家族たちが次々と怪死します。
夫人は熱病で死亡。夫人の母親は毒虫に刺されて亡くなりました。
それどころか愛犬さえも、突然吠え出して、ぱったりと死んでしまいました。
それがカーナボン卿がカイロで亡くなったのと、ほぼ同じ時間帯だったとか・・・(屮゜Д゜)屮 アワワ;;;;

関係者が続々と亡くなります。

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発掘を手伝っていたメイス教授が作業中に肺結核で急死。
おなじく、フルール教授も熱病死。
ビーゼル卿は自殺。

ミイラをレントゲン検査したリード教授も自殺しました。

大英博物館主事、メトロポリタン美術館のキュレーターも、かかわった専門家たちが、
次々と死を遂げていきます。

見学者も犠牲に!!
アメリカの鉄道王は病死、南アフリカの大実業家は客船から海へ転落死。
そういえば、カイロの大富豪でフランス人マルゲリッツと結婚してロンドンのサヴォイホテルで亡くなった、
アリ・ファミィも新婚旅行で見学に行っています!!

ツタンカーメン王の話を執筆中だった作家も、発狂ししました。

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これは、偶然でしょうか?
一連の詩には、様々な憶測が持たれます。

毒蛇説
マラリア説
そしてエアゾール説。

エアゾールとは病原菌や毒性のカビの粉じんで、吸い込むと死んでしまいます。

でも、ロンドンにいるカーナボン卿の家族たちにはどれも影響がないのですよね。

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死の翼を免れた唯一の人物は、なんと発見者カーターです。
彼は発見から17年後に66歳で亡くなりました。

死の翼・・・

真相は謎のままです。
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