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コンコルド広場 [Paris 2015]

ルーヴル美術館 → カルーゼル凱旋門 → テュイルリ庭園→ オランジュリ美術館と来て、お隣はコンコルド広場です。


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ルイ15世の騎馬像が置かれていたので、「ルイ15世広場」という名前だったのが、革命ではその孫ルイ16世夫妻や多くの貴族たちがギロチンで公開処刑された場所です。
のちにコンコルド(調和)と改名されました。

(アントワネットがここで処刑されたときの様子は、この下の記事です)




中心に立つのはラムセス2世の治世をたたえたオベリスク。
1826年にフランスに贈られ、1833年にここに建てられたそうです。



てっぺん部分は2500年位前にすでに盗まれていてなかったため、フランスが金ぴかのをつけたのですって。



ここはパリで一番広い広場。



八角形の広場のそれぞれの隅には、フランスの8大都市の象徴である女神像が置かれています。
南北にそれぞれひとつづつある噴水は、海と川の象徴です。



北の噴水は川。ローヌ川とライン川。そしてフランスの農作物である小麦やブドウ。
南の噴水が海。大西洋と地中海を表し、真珠や魚などの海洋産業物も見られます。船がパリを表しているそうです。


『プラダを着た悪魔』では、ここの噴水に主人公がボスからの連絡着信中のケータイを投げ捨てます。「私はやっぱり、この世界では生きるのはごめんだわ!」というような、象徴的なシーンでしたね。




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うーん。
やっぱり写真のセンスないですな(笑)。
うまく撮れません;;;



以前撮った、夕日に染まる一枚がお気に入りです。
エッフェル塔と女神像とオベリスクが入っているやつ。

             
 ↓












ここは女性のスリ集団の活動地点だそうです。
でもね、それっぽいかたがたはいなかったですね。
今回はスリという人々には遭遇できなかったです(ちょっと残念)。




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この、広場に固まっている自転車に乗った人たちは、サイクリングしながらパリの名所を回るツアーのひとたちです。こういうオプショナルツアーは欧米人に人気がありますよ。




さっきまで晴れていたのに、ちょっと雲が立ち込めてきました・・・




さぁ、次は近所の大きな教会へ行ってみましょう~。





ただ、幸せでいたかっただけ。~フランスのおしゃれ番長の最期~ [l'histoires de femmes]

ma6.jpgこんなにも優雅で美しかったのに・・・






exe5.jpg幽閉生活ですっかり面変わりしてしまったアントワネット。



14日にアントワネットを断頭台に送るきっかけとなったネックレス事件のことについて書きましたが、今回はその後日譚です。



1789年に市民が武器庫であるバスティーユ牢獄を襲って、革命が勃発しました。
怒りに燃えた民衆は、ルイ16世一家をパリのテュイルリ宮に身柄を移させました。



そして2年後、国王一家はオーストリアへの脱出を図ります。
手助けしたのはアントワネットの愛人、フェルゼン伯でした。
しかし一家はあと一歩というところで正体がばれてしまい、パリに送還されます。



exe00.jpg幽閉中のアントワネット。




一家はタンプル塔に幽閉されました。
でも、この幽閉生活は一家団欒の平和なものだったようです。
バスタブや豪奢な家具、多くの使用人を持ち込んでいたと言います。
ここから、恋人のフェルゼンに、手紙と金の指輪を送っています。




exe.louisXVI1.jpgルイ16世の処刑。




しかし、革命裁判が始まると、ルイ16世は先に死刑に処せられました。
アントワネットの息子ルイ17世も、革命派に連れ去られてしまいました。



アントワネットは裁判で事実に反する多くの罪状について自ら反論します。
でも、いくら反論しても無駄なのです。
だって革命派たちは、革命のための犠牲として、国王夫妻を民衆の憎しみの対象に仕立て上げていたからです。



exe1.jpg法廷で証言するアントワネット




結局1793年10月15日に、アントワネットに対して死刑判決が下りました。



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ルイ16世に遅れること10か月後のことでした。




exe6.jpg処刑の日の朝。泣いているのは娘です。




翌日、拘束されていたコンシェルジュリの独房で髪を短く切られ、粗末なナイトキャップと粗末な服を着せられて、彼女は馬車ではなく、荷馬車でコンコルド広場のギロチン台まで運ばれました。死に装束は全身白です。



exe8.jpg幽閉先のコンシェルジュリから引き出されるアントワネット。





あまりのショックで一晩のうちに髪がまっしろになった、とはよく言われることですが、
酷いストレスを受けると、短期間で白髪になってしまうことは、本当にあるようです。



exe01.jpg実際の幽閉されていた部屋。コンシェルジュリ。リアルな蝋人形が置かれています。





彼女は動揺する様子もなく、泣きもわめきもしませんでした。
義妹にあてて書いた遺書は、革命派のロベス・ピエールによって長い間隠されていたと言われます。
(でも捨てられなくてよかったです)




exe11.jpg連行中。





荷馬車に載せられた彼女に、憎悪を向けて罵声を浴びせる民衆。
彼女はどんな悪態を投げかけられても、まるでなにも聞こえていないかのように無表情でした。




exe13.jpg”The Affair of the Neckless"でアントワネットを演じているジョエリー・リチャードソンが、処刑台に連行されるシーン






断頭台はステージのように高座になっています。
もと王妃が階段を一歩ずつ上がると、群衆の興奮が高まり、歓声が次第に大きくなりました。



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王妃だったころはファッションリーダーとして、つねに注目の的だったアントワネット。
美しかった面影はどこにも見られないほどにやつれ、容色は色あせた花のように衰えてしまいました。






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有名なエピソードは、階段を上がる途中に死刑執行人の足を踏んでしまったアントワネットが、
「あら、失礼。わざとではありませんのよ」と言ったということです。





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当時、死刑は一種の公開スペクタクルショーのようなものでした。
私たち現代人の常識からすればちょっと理解しがたいことですが、罪人が首を落とされる様を熱狂して見物するということは、古代ローマからよくあることでした。





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14歳でフランスに輿入れした時、彼女は別の熱狂で歓迎されました。
しかし今は、憎悪を一身に浴びているのです。




ところでギロチンというk処刑器具は、罪人の首を木の板にはめ込み、上から三角の大きな刃を落とし、一瞬にして罪人を苦しむことなく処刑するものです。


以前からあった拷問・処刑道具のひとつでしたが、パリ大学医学部のギヨタン博士が、罪人も苦しまずに死ぬ権利があると三部会で主張したために、革命の罪人処刑に導入されるようになったそうです。




・・・そう、このギヨタン博士の名前から、「ギロチン」と呼ばれるようになったのです。




キャップをはぎ取られ、乱暴に首枷に押し込まれたアントワネットは、ひとつの深いため息をついて
おとなしく従ったと言われます。




最期は・・・・どんな死に方であれ、気高く逝こうとしたのでしょうね。







実は、義妹への遺書の中に、



「私には友人たちがいました。彼らとの永遠の別れを思うと、彼らの苦しみを思うことが死にゆく私にはもっとも辛いことなのです。最後の時まで彼らのことを考えていたことを、せめて彼らが知ってくれますように」




と書いたと言います。

「彼ら」となっていますが・・・・これはフェルゼン伯のことをさしていたようです。
彼女が死の間際まで思っていたのは先に無くなった夫ではなく、彼のことだったようです。



三万人の兵が取り囲む処刑台。
それを取り囲む、あまたの民衆。



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ギロチンの刃は特別なもったいぶりもなくさっと落とされ、アントワネットの頭部は籠の中にごろんと落ちました。死刑執行人が、まだ血の滴る首の髪をつかみ、宙に掲げました。



一瞬、静まり返った群衆は、アントワネットの首を見てどっと歓声を上げました。



「共和国、万歳!!」



そうして人波は引いてゆき、興奮もどこへやら、広場は日常へ戻りました。




exe.jpg最後の肖像画。未完成のままでした。





「すべての敵が、私に加えた危害を許します」と遺書にあります。
37歳。




亡骸はごく一部が、革命が落ち着いた後にサン=ドニ大聖堂に安置されました。
(ぞんざいに扱われたため、一部でも発見されたのが奇跡的なことでした)



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その死にざまは、威厳に満ちた、立派なものでした。











✄ฺ--------- キ ---- リ ---- ト ---- リ ----------------


スコットランドのおしゃれ番長の最期はこちら。
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アントワネットの姪で、ナポレオンに泣く泣く嫁いだマリー・ルイーゼはこちら
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Angelina 2 [Paris 2015]

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箱もゴージャス。





私たちのホテルはサント・ノレ通りに面した古いホテル。
4階なので、窓を開け放って机を窓辺にくっつければ、プラヴェート・カフェみたいになります。



下のバーでポットにお湯をもらって、カップを借りてティータイムです。




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じゃじゃーん。

これが有名なモンブラン。


中身は・・・・




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こんな感じです。
お味は・・・まぁ、はっきり言って私の好みではありませんでした。
甘すぎて・・・栗の風味が無いというかなんというか、うーん・・・・。




私のモンブランの好みははっきりしていて、中身がスポンジではイヤなのです。


アンジェリーナは中がメレンゲなのでいいかなと思ったのですが。
そのメレンゲが歯にくっついてくるほどすっごく甘いです。
全体的に砂糖が大量なのかなぁ? 栗ペーストもねちょっと濃厚。




キタイが大きかっただけに残念☆



いや、もちろん、ほかの人にはめっちゃおいしいのかもしれませんよ。
でもなぁ、やっぱり地元の笠間栗を使ったとあるケーキ屋さんのモンブランのほうがはるかに好きだなぁ・・・。






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でもでも、こちらのイチゴのケーキは正解。



甘すぎず甘酸っぱさもイチゴの風味もあって、ムースの硬さもさすが。
スポンジは紅茶風味だったかなぁ。
とてもおいしかったです。



通りを眺めながら叔母とゆっくりとお茶しました。
人間観察はとても楽しいです。



部屋ならば、誰かのたばこの煙で喘息が起きることもないので(笑)



時間は午後7時くらい。でもまだまだ、そとは明るいままです。


Angelina 1 [Paris 2015]

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ルーヴル美術館からテュイルリ庭園のほうへリヴォリ通りを歩いていくと、そのお店はあります。



パリで一番古いサロン・ド・テ、 アンジェリーナ。
1903年にオーストリア人のパティシエが開いた店が元祖。
彼の娘の名前をお店の名前にしたそうです。





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ヴェルサイユ宮殿内にも支店ができました。



ゴージャスな雰囲気のキラキラした店内でもやはり一番目を引くのは、ケーキのショウケース。
伝統的なケーキを見ているだけでも宝石を見ているようで楽しいです。






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レモンタルトおいしそう!
オペラも捨てがたい。
ミルフォイユもいいなぁ・・・

丸い真っ赤なケーキはフランボワーズ、目だけでも甘酸っぱそう!




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店内はアフタヌーンティの時間帯、大混雑!
ケーキを買うのも大変です。
今回は店内ではなくお持ち帰りにして、ホテルでゆっくりいただくことにしました。




アンジェリーナと言えばモンブラン。
世界中からこれを求めて人々が来店するそうです。
ものは試しに、モンブラン1つ、そしてのこり1つだったイチゴのムースケーキを。




叔母と半分こずつすることにしました。
2つで13.90ユーロ=1870円。





なんともいいお値段です。
店内で食べたら2,3千円はかるく超えます・・・・


ちょと見てみると、マダムたち(メダムか)、お皿に2,3種類のケーキがのっています。
ほほう~。



ユーロって高い;;;;





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Angelina
226 rue de Rivoli, Paris

光の美術館 [Paris 2015]

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オランジュリ美術館は、もとオレンジの温室だっただけあって光の演出が素敵な美術館だと思います。


でも、絵が痛んだりしないのでしょうか?

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ルノワールの作品も多く展示されています。



中でも私が好きな作品の一つはこれ。


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『ガブリエルとジャン』。
ルノワールの次男ジャンは、のちに俳優・映画監督になっています。
赤ちゃんのころのジャンと、ルノワールの妻のイトコで家政婦をしていたガブリエル。
色彩がどうとかより、ガブリエルの優しい愛情に満ちた感じと、ジャンのあどけないいかにも赤ちゃんな無垢さが好きなのです。





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これも、




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これも有名ですね。特にこの少女たちの絵は、同じ構図がオルセーとメットにもあります。




ちなみに、ルノワールの妻のアリーヌは数多くの作品のモデルを務めましたが、「私は若いころは痩せてたのよ」とよく言ったそうです。でもね、作品を見ればバレちゃうでしょうにね?
『田舎のダンス』を見ると、若いころからふくよかでしたけど(笑)



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ルーヴルは人がいすぎてゆっくり見ているようではなかったけれど、オランジュリはなんだか落ち着きます。



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まぁ、結構エピソードが衝撃的だなと思ったものはこれでしょうか。
       



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ローランサンの描いたココ・シャネルの肖像。

当時、貴婦人たちの間では彼女に肖像画を依頼するのがはやっていました。
シャネルも依頼したのですが・・・・


完成した絵を見て「いらんわ」と、ローランサンに返品したという、これです。



絵がいけないというわけではなく、シャネルの性格からしてこんなパステルのタッチがこのみではなかったのでしょうね。似ていると思うけれど。
ならばなぜ依頼したのでしょうねぇ?




いつもタイミングが合わなくて来られなかったオランジュリ。
やっと来られて本当によかったです^^








***********************






roseさんからの宿題・・・。


見つかりませんでした。


『春』がタイトルに入っているのはこの2点でした~。
すみません~


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カルーゼル広場からテュイルリへ。 [Paris 2015]

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ルーヴルからなんとなく西側に歩けば、カルーゼル凱旋門が見えてきます。
パリには凱旋門は3つあります。

カルーゼル、エトワールに、正式には「凱旋門」ではないけれど凱旋門モドキとでも言おうか、新凱旋門グランダルシュ。


カルーゼルの凱旋門は、1806年にその前に年のナポレオンのオステルリッツの戦いの勝利を祝って記念として作られたそうです。


優雅なコリント様式の柱を持つバラ大理石の門。
いろいろな象徴が盛り込まれた力作でしたが・・・

ピンク色なのと迫力に欠ける大きさ(19mの高さ)がお気に召さず、同年、エトワール凱旋門を作られたのだそうです。


あちらは50mの高さ。完成に30年の歳月を要しました。



こちらはこちらで、優雅でいいと思いますが。








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芝の上では人々が日向ぼっこしています。


てか、


ホントにすごい風で白砂がぐるぐると舞っています!
植込みのあたりがぼんやり白いのは、砂が風で舞っているからです!
すごいでしょう?





人々は・・・・気にしていない様子です;;;





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カルーゼル広場を抜けるとテュイルリ庭園につながっています。
ここも白砂が猛烈に吹き荒れています!
並木の陰を風をよけながらオランジュリに向かいます。




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ええ、恥ずかしくはありませんよ。
太陽アレルギーなので、日傘をさして顔にはタオルです。
風が強すぎて日傘をたたみ、サングラスとタオルで重装備!


しまった・・・



オランジュリまでは結構遠かったのです・・・・

Les Nymphéas [Paintings]

テュイルリ宮殿は、カトリーヌ・ド・メディシスによって建てられましたが火事で焼失、今では庭だけが残っています。

その片隅にあるのがオランジュリ美術館。


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もとはテュイルリのオレンジの温室だったから、その名がついたようです。
1926年にモネは86歳で亡くなりました。
生前に彼は睡蓮の絵をフランスに寄贈する約束を、クレマンソーとまとめていました。


そして1927年にモネの睡蓮を自然光で展示することを目的に、オレンジの木を取り除いて美術館にされたらしいです。



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Les Nymphéasとは、モネが作った言葉だと聞いたことがあります。


その展示室に入ると、あの有名ななが~い睡蓮が。


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いやもう、午後3時、人でごった返す部屋ではほかの人が入らないように撮るのが精いっぱいです。



午前中に開館とともに入ればけっこうゆっくり見られるらしいですので、訪れる予定の方は朝一番がよろしいかと思います。


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モネは光にこだわり続け、亡くなるまでの31年間に多くの睡蓮の絵を遺しました。
彼のこだわりを考慮した展示の仕方なんて、粋ですね。



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朝の睡蓮の池・・・ 




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ずっと眺めていたくなります。


TAXI!!! [Paris 2015]

Paradis Latinの帰り道は、電話で呼んでもらったタクシーにて。


黒いタクシーでやってきたのは、イタリア系のおじさん。
「キミたちがお客さんかな?」と英語で。

そうです、といってホテルの名前を言うと、ちょっと待ってねとおじさん、
iPhone出して地図でチェック。


パリは京都みたいに一方通行が多いから、大変ですね。



よーし、わかった、それでは出発~、とタクシーは夜のカルティエ・ラタンに滑り出しました。




どこから来たの? とか、他愛ない話をしていたおじさん、たぶんとてもご機嫌が良かったのでしょうか?


これ知ってるかい? と、お気に入りの曲をかけました。

あっ!










Pump It だ!

ってことは、


「映画の『TAXI』だね!!」
「そうだよ、お気に入りの映画なんだー」


あははは。

おじさん、ノッてきました。
あはは、あは、あは、スピードが上がった(笑)


さすがのハンドルさばきです。
叔母は怖がるかと思いきや、けっこうはしゃいでいます。


夜遊びの人たちがカフェにたむろするのを見て、こんな時間までカフェにいるなんてとかなんとか感想を言う余裕もあります。



ゴゴゴゴゴ~と石畳の道も飛ぶように走り、


カーブでまだわたっている人たちがいるよ~と思いきや絶妙なタイミングですり抜け、

人々も轢かれるとは微塵も思っていない平気な様子です。
勝手によけて行ってよ、みたいな感じ(笑)。



タクのおじさん、気分は映画の主人公。
でもそこはプロ、安全は怠らず(たぶん)早めにブレーキを踏みます。


昼間はお土産屋さんに人が群がるけど、いまや人も見えないリヴォリ通りを疾走、ここが最終ストレートかな。


いつのまにやらパレ・ロワイヤル。

10分もたたずに到着。


おじさん、超ご機嫌。
客を見て(怒らなそうならば)パフォーマンスするのか? (笑)



私も叔母もおじさんのノリノリのお上手な運転に大喜び。
途中からずっと笑い通しでした。




お金を渡したらお釣りをくれるというので、取っといてねというとこれまた大喜びで「ありがとうね~、チャオ、ベッラ~~~!!」と超ご機嫌で去っていきました。




ホテルに戻り叔母と二人、なんかおもしろかったね~、あの運転手さん、とまだちょっと笑い続けていました。



この夜のエンターテイメントのシメだったのかも?



Paradis Latin [Paris 2015]

春の終わり? あるいは初夏のパリ。
夜のとばりが降りるのはかなり遅め。



ちょっとおしゃれをして、私と叔母は夜遊びに出かけました。
予約しておいた、パラディ・ラタンのワンシャンパングラス付きのナイトショー。




カルティエ・ラタンにもともとはテアトル・ラタンという名で存在していたそうですが、火事で全焼、その後あのエッフェルさんによって再建されたそうです。一時閉鎖されていたそうですが、今ではキャバレーとして健在です。




100年以上たっているので、黒いおしゃもじで歴史的建造物に指定されています。


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ディナー付の人たちのディナーが終わると、ショーが始まります。
英語サイトで予約すると、日本語サイトのシャンパンなしと同じ値段で、ワングラスシャンパンがつきます♡



受付でバウチャーをわたし、ようこそいらっしゃいましたとスタッフの方々に笑顔で迎えられ、キュートなギャルソンに案内されて中へ。




ステージに面した中央フロアでは、ディナーを終えた人たちが満足げに談笑していました。
ショーのみの人たちは、コの字の外側の席へ。私たちはステージから見て右手の、結構見やすい席。
ちゃんと名前入りのカードが置かれていましたよ。


シャンパンを注いでもらってしばらくするとショーの始まりです。



なぜシャンゼリゼ通りとかモンマルトルの超有名どころにしなかったのかというと、左岸のほうが治安はいいし、パラディ・ラタンは小さめだからアットホームな感じだと紹介されていたからです。
キャバレー初心者ですから、ね。



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ダンサーさんたちはみんなキレイ。
ミスターレディのおねえさんもめちゃめちゃ美しかったです。



司会者はフランス語と英語の2か国語で進行。
私は叔母さんに通訳。




インド人とブラジル人の2大団体さん、それにオーストラリア、ニュージーランド、カナダ人。
なんとこの夜、日本人は私たち二人だけ。
司会者が「日本からようこそ~」と各国人へ歓迎のあいさつをします。



私たちの前の席のニュージーランド人の女子がiPadでショーを盗撮。
ギャルソンに注意されても何度も繰り返していました。プロに対して失礼ですよね。
この女子、となりにいた父親にもやめないさと注意されていました。母親は何も言わず。


私はいかなかったけれど、叔母さんがトイレに行きました。赤いじゅうたん敷き詰めたらせん階段を下りて行ってなんかすごかった!と言っていました(笑)。



ショーの中で日本のバイクが出てきました。
空中ブランコは客席の真上で技を披露します。
ものすごく軸の高い一輪車のおじさんのショーもすごかったです。


そしてフレンチカンカン。
小学校の時、よく運動会でかかってたあの曲!


出演者総出のグラン・フィナーレの白い衣装がキレイでした。
21:30から1時間ちょっと、おもしろかったです。


ショーが終わるとトリックスターや司会者がお見送りしてくれます。
帰りはクロークのお兄さんにお願いして、タクシーを呼んでもらいました。


楽しい夜でした。







↑   動画の後半のショウは、現在はテーマが違ってやっていませんが、前半の楽屋編では、私たちが見たショウに出演していたダンサーさんたちが映っています!




黒いおしゃもじ。 [Paris 2015]

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パリの街の中を歩いているとよく目にする黒いパネル。

歴史的建造物に指定された建物をあらわす、「パネル・イストワ・ド・パリ」。
(パリの歴史パネル)




私には黒いおしゃもじに見えたけれど、船のオールを表しているらしいです。


フランスの有名な工業デザイナー、フィリップ・スタルク氏のデザインなのだそうです。


このかた多彩でいらして、日本でもセブン・イレブンの文房具とか、ソニーのAV機器用のはめ込み家具などのデザインを手掛けていらっしゃるそうです。


そしてなによりもなによりも私たちが目にしたインパクト200%の彼の作品と言えば…


あれですよ、あれ。金色の・・・



浅草のアサヒビールスーパードライホールの設計!
いま、「あ~ぁ!」とおっしゃったでしょう? o(≧∇≦o)






で、話を戻しますが・・・・





このパネルはシラクさんのアイディアで設置されたとか。
スタルク氏にちなんで「スタルクオーズ」とも呼ばれるらしいです。


767のパネルがパリのあちらこちらに設置されているそうです。


オールと言われればオールに見えてくるのですが、先入観なしに見ると私にはおしゃもじか、もんじゃのヘラみたいに見えちゃいました☆



残念ながら、英語表記もなくフランス語表記だけですが・・・
パリのお散歩歩きの際には、このパネルを探してみるのも楽しいですよ。


村の風景 3  (と、迷子のおばさんたち) [Paris 2015]

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別のカフェ発見。


農家カフェ?みたいです。


前庭は畑、畑は日本と見た目はまったく同じ!
数種類の野菜が育っていました。


おくの母屋がカフェのようで、軽食も摂ることができるようですね。



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ホントになにもない牧歌的な風景です。


私が訪れた緑の季節はお散歩には最適ですが、もうすでに7月は猛暑のようなので、熱中症には気を付けないといけないですね。


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ほんの2時間ほどの滞在でしたが、地方の景色を堪能できてよかったと思いました。
長年訪れたかったモネの家も庭も見られたし、満足です。



駐車場に咲いていた菜の花!
なんと、まだまだ満開でした。


やはり5月は・・・春?
あ、右手はオートキャンプ場かキャンピングカー専用駐車場でした。


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ちなみに・・・・最後の最後にハプニング発生~!



このあと、1組のおばさんのグループが道に迷ったとかで20分も遅れてきました。
探しに行ったガイドさん、大変だったことでしょう。

後ろの席のおばさんは「困っちゃうわ、予定が狂っちゃうわ、どうしてくれるのよ」と普通の大きさの声でぶつぶつ文句を言っていました。たしかに、そのとおりですね。


結果、この遅刻のため帰りの道では渋滞に巻き込まれてしまいトータル1時間は遅れ、バスの運転手さんは次の仕事に遅刻しそうになりました。



後ろのおばさん、強し!(たぶん、旅慣れているのでしょう、そんなかんじ)
遅刻グループにあからさまなブーイング浴びせています。



気の小さい私は迷子のおばさんたちがバスに乗ってきたときに「見つかってよかったな」とは思いましたが、後ろの席のおばさんのようにあからさまなブーイングしたり文句を言ったりすることができませんでした;;;


だって・・・自分だって、そういうヘマをしでかす可能性があるので・・・
(なにせ迷子常習犯なので、私は団体行動の時には時間に余裕を持たせてちゃんと気を遣っていますけどね)



でも同情の余地なく、迷子のおばさんたちもけっこう「何か」が厚かった ( ←さて、何が厚かったのかはみなさんおわかりでしょう?)。


遅れてきたことは謝ったけれど、あまり申し訳なくなさそうでいちおう言ったってかんじ。

その後リーダー的おばさんがガイドさんを独占。自分たちが知りたい情報をどんどん質問して、解散前にオルセー美術館への行き方をずっと訊いて引き止め、皆さんの時間を奪い続けていました(解散してから訊けばいいのに、自分たちの時間は無駄にはしたくなかったようです)。


そこにほかの参加者に対する遠慮や気配りはみじんもなく・・・
自分たちのことだけ!


4,5人のグループでしたが、その中の一人のおばさんは「群れ」に遅れまいと、ほかの人を押しのけてリーダーについていくのに必死そうでおどおど・・・リーダーが怖いのか、旅を楽しめているのか・・・謎です。(私も押しのけられました、二度ほど)


やっぱ団体はイヤだな・・・自分勝手な人がいる限りは・・・と



あらためて思ってしまいました。



てか、


オルセー美術館の行き方くらい、ガイドブック見ればいいやん・・・ではないですか?
載っていないガイドブックはないだろうと思いますが?
(でも気が小さいので言えませんでした)





さて、やっと次回からはパリです(やっとね)!

村の風景 2 [Paris 2015]

ジヴェルニー村は、人口500人ほどだそうです。
その何十倍もの観光客が日々やってくるのですね。


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セーヌ川とエプト川の合流地点にあるそうですが、モネの水の庭は、このエプト川から水を引いているのだそうです。


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半世紀でもほんの150人ほどの人口が増えたくらいで、モネが移住してその村の名が世界でも知られるようになったようですね。村人は「ジヴェルノワ」と呼ばれるそうですが(なんかかっこいい)、宿とかお土産屋とかカフェで生計を立てている人もいるようです。



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長くのびる道をモネの家とは反対側に15分か20分くらい歩けば小さな教会があって、そこにモネのお墓があるそうです。


行きたかったけれど・・・バスの集合時間を考えると往復40分くらいかかるのはちょっとキツそうだったのでやめました。



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ほかのおうちもモネの色に合わせているのでしょうか? それとも偶然なのかな?
扉が緑色。



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これからは暑くなってくるので、日傘や帽子も売られていました。
睡蓮の模様の傘もありますね。
このお店、ツタの絡まる塀の上のほうに青い箱が取りつけてあって・・・




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そこからシャボン玉がぷぷぷっと出ていました。




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カフェも田舎の雰囲気ばっちりです。
ゆっくりお茶する時間があればよかったなぁと思います。
あ、アメリカのおばさまがばっちりカメラ目線で写っていらっしゃいます(笑)




ちなみに・・・

左下の標識のヴェルノンですが、最寄りの国鉄の駅です。
そこからバスが出ていますが、本数が少なめ。


駅前のカフェでレンタサイクルすることもできるそうです(裏ワザ)。
ヴェルノン駅から歩けば1時間はかかるそうです。散歩道もけっこう素敵だと体験者談にありました。



でももうすぐ集合時間なので、団体さん専用のバスの駐車場に戻ることにします。


村の風景 1 [Paris 2015]

モネの家を出ると、周りにはちらほらとお土産屋さんやカフェが見られます。
かわいいおうちを発見! と思ったらこれはお土産屋さんでした。

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この庭を見ただけでも癒されます。

花のある玄関、訪問が楽しくなりそうです。




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ちょっと離れてみてみるとこんなかんじ。



角で二人のおばさんたちが・・・


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「ちょっと、孫にお土産買ってきたのよ」
「あら、いいじゃない」
「フランスって感じがするわね」


などと言っていたかは不明・・・ですが(笑)いや、そうじゃなくて、


通りすぎたクラシックカーを撮ろうとしたのですが、遅くなってこのようになってしまいました。
残念~。






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ツタの絡まる石塀がすてきです。屋根が変わっていますね。
どうしたらこんなデザインになるのかな?

こうして周りを見ると、先ほど見てきたモネの家の大きさはご近所さんの中でも一番でしょうか。
ほかは石造りなのに、モネの家は木造でしたが、それもなぜなのでしょう?




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それにしても、住んだこともないし文化も違うし、自分の生活環境も全く違うところに好感を持つって、どういうことなのでしょうね?いつも不思議に思います。




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さてさて、

ジヴェルニーの村、もうすこしお散歩してみましょう~。

あめ [Lorem ipsum (創作)]

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Il pleut ce soir.



雨のパリは嫌いじゃない

木漏れ日がさす石畳を散歩するのもいいけれど

雨に濡れた夜の石畳もいい




カルティエ・ラタンの石畳に跳ね返る雨音は

それだけで音楽みたい



モンマルトルのふもとで

カフェの日よけを伝う雨のしずくを眺めるのも好き



昼は賑やかなサントノレ通りの

夜明け前のしじまに伴奏するみたいな

夜想曲みたいな雨もいい









水の庭 2 [Paris 2015]

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年を取ってからのモネは、白内障を患ったそうです。




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だから大好きな緑色も、だんだんくすんで赤茶けて見えるようになりました。
周囲からは手術を勧められるも、万が一の失明が頭をよぎると、なかなか手術に踏み切れません。

緑いろを失ったままか、すべてを失うか。
年老いた画家にとっては、究極の選択だったことでしょう。



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画家が好きな色を表現できないことは、とてもつらいことだと思います。




手術の結果は成功でした。
そして彼は80代で亡くなるまで、水の庭を描き続けました。




さて・・・


五月の終わりの水の庭は、睡蓮のつぼみがあちこちから顔を出し始めてはいたものの、残念ながら咲き誇る様子を見ることはできませんでした。




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庭師さんが小舟に乗って水中の藻を除去していました。
作業中ながら景色に溶け込んでいるので、彼もまるで一枚の絵の中の不可欠な素材のようです。




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よく見ると睡蓮の葉の間でカエルたちが気持ちよさそうに鳴いています。
人間にとっては鳴いているだけにきこえるのかも?
でも彼らにとってはラブソングを歌っているのかもしれません。




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5月は春の終わりでしょうか?
午前中はまだすこし肌寒さが感じられます。




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でも太陽が上がるにつれて、じょじょに暖かくなってくるのです。
この季節、気温が一番高くなるのは14時から16時の間くらいだったと思います。


水面は太陽の高さや雲の陰り具合によって、刻々と表情を変えてゆきます。
好きな場所にイーゼルを置いて、モネは黙々と水面を描き続けたのでしょうか。




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水には形がないので、いくら描いても描ききれるものではないのでしょう。
水という流動的なものの一瞬をとらえることは、カメラでも絵でもとても難しいものだと思います。





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この庭に棲んでいるカエルたちは、幸せかもしれません。
だってこんな広い庭に、のびのびと暮らせるのですから。

動画を撮ってみました。
とても短いし、ブレブレだし、隣にいたアメリカ人のおばさんたちの声もばっちり入ってしまっていますが、この庭の雰囲気を感じていただけるかと思います。













もっと知りたいモネ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

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  • 出版社/メーカー: 東京美術
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クロード・モネ絵画集 近代絵画

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  • 出版社/メーカー: アートクラシックス
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モネの家のおみやげやさんにて。 [Paris 2015]

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花のモチーフの香水瓶。
とてもきれい。



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花瓶とか、文鎮とか置き物とか…
アールヌーボー調かな、曲線がいいかんじです。

おみやげやさんは、家のむかって右手、トイレのとなりにあります。

カレンダー、画集、ペンとかノート、しおりなどの文具、マグカップなどの定番商品ももちろんあります。




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これ、面白いでしょう?
パレットに絵の具が絞り出されたデザインのピアスやネックレス。

ちゃんと絞り出した絵具も立体的で、本格的なミニチュア。
・・・それにしても結構なお値段です。





わたし? 何を買ったかですか?



ここでは見るだけでした☆








ジャンプ傘 モネ CAMILIA

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1000ピース ジグソーパズル 睡蓮 マイクロピース (26x38cm)

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Monet or the Triumph of Impressionism (25)

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Monet: Miniature Art Book (Miniature Masterpieces)

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  • 作者: Rh Value Publishing
  • 出版社/メーカー: Random House Value Publishing
  • 発売日: 1992/09/07
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Claude Monet : 1840-1926

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  • 出版社/メーカー: Parkstone
  • 発売日: 2005/04/27
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水の庭 1 [Paris 2015]

ホントにいい季節です。
どこを見ても心がなごみます。


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団体用の大型バスの駐車場入り口から5分ほど歩けば、モネの家と庭に着きます。

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もうすでに瀟洒な水の風景。


それにしても、つくづく思いました。
バスで来てよかった~と。

海外旅行初心者を連れて電車で来て地元バスに乗り換えてこの村にたどり着くのは、さぞかし大変だったことでしょうから、自力でたどりつく4倍の金を払ってでも(下世話な話ですが)これでよかったと。


地元のバスは本数が少ないうえに帰りは人が集中するため、乗れないこともあると体験談で読んでいたので、やはりパリから直通の観光バスに便乗するのがラクです。

もっとも、一日か泊りがけでルーアンのほうへ足を延ばすならば、国鉄もよいでしょう。

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家と花の庭から、道路の地下道をくぐり向う側へ。

いよいよ水の庭へ向かいます。

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この景色は、きっと当時から同じ光の加減なのでしょう。


竹林がなんか、懐かしい感じです。

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藤棚もあります。
モネが浮世絵で見た丹塗りの太鼓橋が、彼のアレンジでお気に入りの緑色の橋に。
日本の「あを」とはちょっと違う、鮮やかなミドリ色。
光の加減が違うから、ミドリ色も違って見えます。


藤と言えば日本の花ですが、ヨーロッパでも愛されているようです。
英語ではウィステリアと言いますね。


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太鼓橋から見た、よく絵に描かれている景色とは反対側の景色。
ちょと地味。


それにしても、アングルも何も、写真のセンスがなくてすみませ~~~ん。
団体客が写らないように撮るのに必死で・・・(笑)
つぎつぎに後ろから小突かれて押し出されるのもですから・・・(いえ、それだけじゃなくてホントにセンスがないだけなのですが)。

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さて、いよいよ、あの有名な風景へ。

水の庭 0 [Paintings]

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モネは一番目の妻のカミーユを亡くしてから、少し画風が変わったといわれます。



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貧しく苦しい時代を共にした、結婚期間は短かったものの恋人期間の長かった最愛の妻。



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二番目の息子を生んでまもなく、ヴェトイユでなくなってしまったのです。
その死の床で、モネと正式な結婚式を挙げていなかったカミーユとの司祭立会いの結婚をすすめたのは、のちに2番目の妻となるアリスだったそうです。



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モネの貧しく、もっとも幸せだった時代。
それはアルジャントゥイユの親子3人の暮らしだったのかもしれません。
そしてたぶん、ジヴェルニーでの大家族での暮らしは、彼の人生でもっとも穏やかで平穏な時代でしょうか。


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二番目の妻と結婚して、その連れ子たちも含めて合計8人の子供たちを養い、絵も認められジュヴェルニーに家を買いました。ようやく余裕のある暮らしを始めても、心の奥底では、亡き妻の面影を抱きつづけました。



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二番目の妻の連れ子、自分の長男、そして二番目の妻の死。
家族の多くが、彼をのこして亡くなりました。



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いつしか人物画が少なくなってきて、彼は風景画を多く描くようになりました。
なかでも、水辺の風景、特に睡蓮の花に惹かれたようです。



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白内障を抱えながら、モネは水の庭を描きつづけます。その数は300点にも及ぶと言います。
5人の庭師を雇い、珍しい草花を植え、モネはひたすら、花を描きつづけました。


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水はどこか、人間を惹きつけます。



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モネが水に惹かれたのは、その向こうに亡き家族の面影を求めたからなのかもしれません。
水の庭で、モネは亡くなるまで睡蓮を描きつづけました。



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亡きいとしき人たちの面影を求めて、水の庭で・・・


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